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March 2006
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民主的な独裁者

オーストラリアのリプリーミュージアムの監督で元サーファーのRussell Murphy は公正で信頼できる忠実なマネージャーの模範

(記事:Tim O’Brien )

 

オーストラリアのクイーンズランド州にある『リプリーのビリーブ・イット・オア・ノット』ミュージアムの支配人を務めるRussell Murphy は、アジア地域統括マネージャーとして、マレーシアとタイにあるリプリーエンタテインメント社のアトラクションの監督も務めている。

 

リプリーの年間最優秀マネージャーに 4 度選ばれた彼は、サーファーズパラダイス役員会のメンバーを務めているほか、 IAAPA のコミュニケーション委員会にも名を連ねている。このほか、ゴールドコースト・インスティチュートの TAFE (職業訓練専門学校)で「自信と自尊心」に関する講義を担当している。

 

教師や友人から「将来は何にもなれない」と評された彼にしては悪くない。実際、学校を出てから 15 年近くの間の彼のライフスタイルは、その予想が正しかったことを示している。しかしその後、彼は真面目になった。

 

10 歳でロック音楽を知った彼は、その後、女の子と遊ぶ楽しさに走った。サーフィンを知ったのは 17 歳のときだが、これが、完全な波を探すことに集中する彼のライフスタイルを決める要因となった。サーフィンにのめり込んだMurphy は、オーストラリア中東部にある「サーファーズパラダイス」というふさわしい名で知られる場所で、本物のサーファーとしての生活を送っていた。そこには、『リプリーのビリーブ・イット・オア・ノット』ミュージアムがあった。ほとんど労働者として働いていた彼は、いつの日にか「本物の」ビジネスで「真面目に働く」ことになる、と思っていた。彼は言う。「波のトンネルの中を駆け抜けているときに、昔ながらのビジネスに専念しようとしても難しいでしょう。その時が来たら、自然にその道に進むことになるとわかっていました。だから、無理には進まなかったのです。」

 

時おりアルバイトで仕事をする以外にはサーフィンにすべての時間を注いでいたMurphy は、 40 代になるまで「愛とは何か」を学ぶ時間さえなかった、と言う。彼が生涯でただ一度の結婚を迎えたのは 46 歳のときだった。サーフィンをしていた当時、夜間の仕事がないときには、近くの大学でマーケティングの授業を受けていた。「夜はサーフィンができなかったので、いくつかの科目を取りました」と彼は言う。

 

多くのサーファー友だちとは違って、Murphy は、何年間も波を追い続けることで、社会の主流から完全に脱落したわけではなかった。母親から法を遵守するように教えられていた彼は、道を踏み外すこともなく育った。ときどき酒を飲むことで知られる彼も、そのライフスタイルから連想されるようなドラッグの文化に染まることもなく、その点でも問題はなかったと彼は言う。

 

彼は言う。「それはとても単純なことです。私はじっくりと考えてみました。もしドラッグをやっていたら法を犯していたでしょう。法を犯していたら監獄に入れられていたでしょう。監獄に入れられたらサーフィンはできません。ごく簡単なことです。」

 

その日が来た

クイーンズランドでバーテンダーとして働いていたMurphy の頭にひらめきが走ったのは、 1983 年のことだった。バーカウンターの後ろに立って、通りの向こう側で誘うかのように寄せては返す波を見つめていた彼は、「いよいよ準備が整い、その時が来たことに気づきました。そこに立って、自分の優先すべき課題を、のらくらした生活からビジネスへと変える必要があると感じたのです」という。

 

ただし、それは精神的に傷ついたからではないという。そのときすでに 30 歳になっていた彼は、自分がサーフィンをして過ごした日々を初めて振り返って、それはそれで楽しかったものの、彼の人生のメインイベントの序幕に過ぎなかったことに気づいた。

 

彼が初めて「キャリアを目指して真面目に取り組んだ」仕事は、サンシャインコーストにあるムールーラバホテルの宿泊部門だった。最後はそのナイトクラブのマネージャーに昇進した。その後、キャッスルメインパーキンスに入社し、そのホテルのひとつで副支配人に昇進した彼は、 1985 年にノースクイーンズランドのグレートバリアリーフに移り、そこでリザードアイランドリゾートの副支配人になった。

 

1986 年にゴールドコーストに戻った彼は、ヒルバーツ・クルーズ・アンド・ツアーズの広報マネージャーとして 4 年間働いた後、リプリーに入社した。1990 年には、当時フランチャイズオーナーの所有であった『リプリーのビリーブ・イット・オア・ノット』ミュージアムのマーケティングマネージャーとして入社した。 1991 年、リプリーエンタテインメントがフランチャイズオーナーからこの会社を買収したとき、Murphy はその経営陣に留まり、ゼネラルマネージャーに昇進した。

 

サンフランシスコの『リプリーのビリーブ・イット・オア・ノット』ミュージアムでゼネラルマネージャーを務めていたIan Iljas がオーストラリアに派遣され、Murphy のゼネラルマネージャー研修を担当した。その彼は本誌( Funworld )にこう語る。「Russell としばらく過ごした私は、彼はこの土地で事業を伸ばすのに必要な活力、熱意、それに性格を持ち合わせていることに気づきました。彼が持つ気力、ユーモア、ビジョン、率直さ、それに営業や宣伝能力は、この事業を立て直すための役に立ちました。」

 

1997 年、ビジネスの拡大その他の功績により、 Murphy は初めてリプリーの年間最優秀マネージャーの栄冠に輝いた。これまでに 4 回もその賞を獲得した彼は、同社が所有するアトラクションのマネージャーの中で最多受賞数を誇っている。 Iljas によると、リプリーエンタテインメント社内で Murphy ほどの業績を達成したマネージャーは、それまで誰もいなかった。彼は言う。「Russell が変えたサーファーズパラダイスのビジネスは、多くの人々が可能と思っていたレベルを上回っています。」

 

Murphy は、自分自身の仕事の進め方を「民主的な独裁者」と表現している。自分の信念と理想に則って事業経営に当たる彼は、結論を出す前に「スタッフに相談して、その考えや意見を聞く」という。それでも、ほとんどの場合は彼自身のやり方で進めている。彼のお気に入りの言葉のひとつに、「リーダーシップとは行動であって、地位ではない」というのがある。リプリーの最高財務責任者( CFO )を務めるDarren Loblaw によると、 Murphy がマネージャーとして成功を収めているのは、「彼が自分のビジネスや、会社で最も重要な資産である従業員に対して極めて忠実で、そのほとんどを大切にしているからでしょう。」

 

ミュージアムという職場環境を心底から楽しんでいる Murphy は、できる限り多くの時間を割いて、ミュージアム内で時間を過ごしたり、アトラクションの前の通りで来場者と話をして過ごしている。彼はまた、毎日必ずチケット売場やロビーに来ては、観客の賑わいを感じ取っている。リプリーでアトラクションサービス担当役員を務めるPete Fisk は、 Murphy の現場主義的なアプローチに感銘を受けている。彼は言う。「私自身はけっして事務屋ではないのですが、しかし現実には、オフィスからミュージアムの現場に足を運ぶのが難しくなっています。それは良いことではありません。なぜなら、問題の大部分は、その答が現場にあるからです。来場者と話をすることで、何を為すべきかがわかりますし、その言葉に耳を傾ければ、けっして間違えることはないはずです。Russell はいつも現場の最前線に立つ実践第一主義のマネージャーです。」

 

Murphy は、来場者の言葉に耳を傾け、既成の枠組みにとらわれずに物事を考えると同時に、地元業界とも積極的に交流することによって、過去 10 年間に 12.5 パーセント以上という高い年間成長率を達成しながら、この 9000 平方フィート(約 840 m 2 )のミュージアムの発展に貢献している。

 

アジア全域の監督として

2005 年の初め、 Murphy は、アジア各地にあるリプリーのアトラクションを監督する地域統括マネージャーに昇進した。彼はオーストラリアのミュージアムの経営を続けると同時に、本社駐在員として他の施設の支援にあたることになった。彼の新たな任務として、タイおよびマレーシアにおける同社のアトラクションの運営面に関する本社への報告が加わった。彼の仕事には、衛生状態の監督、スタッフの成績評価、展示物の質、メンテナンスならびにマーケティングのほか、注意の必要な分野があれば、そのビジネスを更新または改善する方法に関するサポートや提案も含まれている。 Loblaw は言う。「他の場所にあるいくつかの施設もRussell が監督していますが、彼が持つ豊富な経験と活力、それに独特のユーモアセンスが、これらの施設にも大きな恩恵をもたらしています。」

 

1991 年に Murphy を起用したリプリーエンタテインメントのBob Masterson 社長は、その理由のひとつに、 Murphy が自分の直感を信じて良い仕事をしていることを挙げている。彼は言う。「成功する人々が持つ主な特徴のひとつは自信です。Russell は間違いなく、自分自身が持つ能力に対して、全幅の信頼を寄せています。」彼はさらに、こうつけ加えた。「当社のオーストラリアの代表者として、この業界全体を探しても、彼ほどの適任者は思い浮かびません。」

 

近隣の大手同業者

Murphy のアトラクションは、ドリームワールド、シーワールド、ウェットンワイルド、ワーナーブラザーズ・ムービー・ワールドなどのオーストラリア最大のアトラクションと同じ市場を対象としている。

 

彼は言う。「これらのアトラクションは、このミュージアムよりずっと大規模ですが、競争相手には違いありません。リゾート都市に位置するこのミュージアムの場合は、ここに数日間滞在する観光客がお客様ですから、呼び込めるチャンスはあります。」このミュージアムは、人気のあるサーファーズパラダイスビーチから 200 ヤード離れた歩行者専用モールの低層階にあるため、歩いてくる人の流れからは見えにくいという、もうひとつ別の意味の競争にもさらされている。

 

Murphy は言う。「人々の注目を集め、目立つための方法を探す必要があります。幸いなことに、私たちの場合は無料のメディアを利用することができますし、その多くは国中の注目を集めています。」つまり、マーケティングと PR 能力に加えて、その陽気な性格のおかげで、彼はメディアとの関係を上手に作っている。彼は、過去数年かけて作ってきた人脈を使って、「バークスバックヤード」「タイムアウト・フォア・シリアス・ファン」、それに全国で放送されている「トゥデイショー」など、いくつかの国内向けテレビ番組でよく取り上げられる。彼は言う。「『トゥデイショー』は、特によくしてくれます。午前 6 時から 9 時まで、放送の合間に流される天気予報を、このミュージアムから中継してくれたこともありました。」

 

Murphy の法則

Murphy の第一印象は、タレントのP.T. Barnum といったところだ。声が大きくて自信に溢れ、ユーモラスな彼は、楽しいことが何よりも好きだ。しかし、陽気にはしゃぐその姿とは裏腹に、示唆に富む箴言をいつでも取り出せる彼は、深い考えを持った知的な人間でもある。「自分自身の至らなさをいちばんよく知っているのは、私自身です」と彼は言う。

 

Murphy は、この 12 年間、新聞や雑誌をつねに手元に置いて、気に入った言葉を見つけるたびにそれを書き留めてきた。たとえば、人生について面白い考え方にめぐりあったら、それを書き留める。また、既成の枠組みにとらわれない新しい「やり方」を思いついたら、そのアイディアも書き留めている。彼の本には、日々の生活、神、ビジネス哲学に関するユニークな考え方や、やる気を起こさせるような箴言がびっしりと詰まっている。

 

1990 年に彼が書いた「ザ・サーフィン・イヤーズ」というサーフィン詩集は、サーファー時代の彼が書いた自伝的な叙情詩で、広く出回っている。 Murphy は彼の過去を、次のような一節で語っている。「歳月が経ち時は移ろうとも、サーファーとしてのライフタイルもフィーリングも以前と変わらない」「プレッシャーの中で働いている今も、はるかに過ぎ去ったあの日々を振り返る」そして「これらの記憶が残る心の中に、私の生活の一部が消えることなく残っている。」

 

彼は毎朝、職場まで車で 10 分の距離を通勤しているが、その間も、 16 年前にサーフィンを楽しんだいくつかのビーチが思い出される。彼はこう嘆いていた。「正直に言うと、今でもときどき、あの当時の光景が心をよぎるのです。特に強く心引かれる朝は、私は車を止め、外に出て潮の香りを楽しみます。とてもすばらしい香りですよ。」彼が最後にサーフィンをしたのは、 1999 年 12 月 31 日、ニューサウスウェールズ州のムーニービーチだった。

 

Murphy はこのほか、様々なゲーム番組にも挑戦して勝利を収めた。 1984 年に彼が初めて挑んだゲームショー「ザ・パーフェクト・マッチ」では、週末のバリ島旅行を獲得した。 1996 年に出場した「ザ・セール・オブ・ザ・センチュリー」ではわずか 1 問差で敗れ、 2002 年の「ウィーキストリンク」では「完全に失敗した」という。

 

しかし、 Murphy がゲーム番組に挑戦する日々も、すでに終わった。彼は言う。「私はチャンスを追い回すのではなく、自分の人生をまっとうに生きる道を選んだのです。いずれにしても、餞別の贈り物はもういりませんから。」


夢中になりそう

最もよく話題に上る世界最大の水族館を Funworld 誌がつぶさに見学

(記事: Jeremy Schoolfield )

 

深みにはまる

ホームデポの共同創業者Bernie Marcus がアトランタ市に感謝して寄贈したジョージア水族館の全容が明らかに

 

ジンベイザメという生き物について本で読み、それが成長するとどれほど大きくなるか( 40 フィート=約 12 m !)、またはどれほどスムーズに水中を泳げるかを知ることには、それなりの意義がある。しかし、この巨大な生物が容積 600 万ガロン(約 22,700 m 3 )の水槽の薄暗い奥底から、今にも手が届きそうなところを滑るようにして頭上に高く昇っていく姿を見るのは、それとはまた違った意味で意義深い体験である。

 

この巨大なサメを 1 匹どころか 2 匹も飼育しているアトランタの新ジョージア水族館は、週末の午後の暇つぶしにぶらぶらする場所というには、あまりにも贅沢にできた施設である。長い夏休みの最中に遊びに行きたいと騒ぐ子どもたちを連れて行くだけの場所でもない。この惑星の深海に棲む生き物たちについて勉強できる場所といっても、まだ言い尽くしてはいない。

 

この水族館は、見学者を(船のような形をした)暗い洞穴のような建物へと誘い、ありとあらゆる展示コーナーで、はっと息を飲み、開いた口がふさがらないほどびっくりする光景を見せることによって目を楽しませ、心がはずむような体験のとりこにしてしまう。

 

ホームデポの共同創業者 Bernie Marcus が寄付した 2 億 5 千万ドルを主な財源としてアトランタに新しく建設された、総面積 55 万平方フィート(約 51,000 m 2 )というこの水族館のすばらしさは、筆舌に尽くしがたい。実際に見ていくうちにわかるだろうが、このジョージア水族館には何種類かのスポットがあって、何をするでもなく、ただ立って(または座って)すばらしい光景を見つめているだけでもいい。

 

1979 年 6 月 22 日、 Marcus は共同創業者のArthur Blank とともに、アトランタ市内でホームデポ金物店を創業した。約 30 年後、ホームデポは世界最大のホームセンターに成長し、 Marcus は、自分とその会社が長年にわたってジョージア州の人々から受けたすべての支援に強い恩義を感じていた。

 

彼は言う。「これは、私があれだけお世話になったこの都市に報いる良い機会になりました。今の私の生活があるのも、すべてジョージア州のおかげです。」

 

水族館を選んで寄贈したのは、それが世代に関係なく受け入れられるものだからだ、と Marcus は言う。なるほど、魚を見るのが嫌いな人もいないだろう。しかし、ありふれたお決まりのものにだけはしたくなかった。彼は、このジョージア水族館を、アトランタのひとつのシンボルのような施設としてイメージしていた。つまり、アトランタを、ビジネスだけの都市から、本格的な観光地へと脱皮させるのに役立つものにしたかったのである。

 

アトランタのShirley Franklin 市長は言う。「この施設は、アメリカ合衆国の南東部全体の経済にとって、ひとつの原動力になるでしょう。」

 

2005 年 11 月 23 日に開業したこの水族館は現在、世界最大の規模を誇っているが、あらゆる見学希望者に受け入れられるような娯楽的な価値を念頭に置いて設計された施設である。これは何も、水族館によくありがちな四角い水槽に限った話ではない。それは、原則というよりもむしろ例外に過ぎない。 5 つに分かれたこの施設の主な展示室それぞれに、いくつかの「発見」がある。来館者が角を曲がって、または暗くした通路から出てくると、そこでまた、新たな興奮に満ちた新しい視野が開けるように工夫されている。

 

この水族館の設計主任を担当したGary Goddard エンタテインメントのオーナー、Gary Goddard は言う。「魚は、できるだけ魚らしく見せたいと思っています。この水族館のスターたちのために、私たちはすばらしいショーケースを製作しました。」

 

しかし、来館者が実際にスターの姿を見ることができなければ、どれほどうまく施設を設計しても、十分な効果を発揮することはできない。ジョージア水族館の水槽の多くは、普通のガラスではなく、アクリルでできたものを使用している。このため、水中を覗きこんで見る人は、反射によって視野が遮られることはない。この材質は非常に透明度が高いので(ボランティアのダイバー清掃員がダイヤパーを使って内側から窓を拭いている)、まるで水の中をじかに歩いているかのようによく見える。

 

ジョージア州のSonny Perdue 州知事は言う。「内陸のアトランタに海そのものを持ち込むのは、けっしてたやすい仕事ではありません。この水族館が完成したことは、私たち全員にとって大きな勝利です。」

 

その水族館の評判はすでに広まっている。予想外に多くの反響が一般の人々から寄せられ、最初の 2 ヶ月の来館者数は 60 万人近くに達した。年間入場券は 1 月中旬までにすべて売り切れ、このペースでいくと、 2006 年の年間来館者数は 350 万人に達する見込みで、 200 万人という当初の設定目標を大きく上回る。

 

この先の数ページかけて、アミューズメント・アトラクション業界にとっていわば新たな金字塔となったジョージア水族館を本誌( Funworld )の記者がレポートする。 Marcus が言うように、「これこそまさに夢の実現」である。

 

誰にでも勉強になる

自然保護に向けたメッセージがジョージア水族館の重要性を強調する

 

アトランタに水族館を建設するアイディアを最初に思いついたBernie Marcus は、来館者を教育するだけではなく、楽しませるような新しい工夫を凝らしたいと考えていた。いま、開いた口がふさがらないほどびっくりする無数の展示物を目の当たりにすると、彼のその方針が正しかったことがよくわかる。

 

しかし、見て楽しめるそれらの展示には、いずれも複数の目的がある。その主な目的のひとつは、自然保護に向けた水族館発のメッセージを強化することにある。獣医研修病院プログラムを完全統合して5,800 平方フィート(約 540 m 2 )と従来の倍の広さになった最新式動物治療施設を持つジョージア水族館は、水棲生物の保護と調査における世界的なリーダーを自負している。この水族館の展示はすべて、世界の海中生物という貴重な自然、さらにその保護のために何ができるかについて、人々の理解を促す工夫が凝らされている。

 

だが、この水族館では、各展示に何枚もの説明パネルの山を来館者に押し付けて読ませるようなことはしていない。その代わり、動物たちの姿がすべてを物語るように設計してある。それぞれ水槽の中にいる動物の名前を記したラベルを貼る以外には、観客に提示する情報量を必要最小限に抑えることによって、頭を飽和させてしまうよりも、むしろ来館者の好奇心をそそり、家に帰ってからもっと調べたくなるように仕向けている。目の前に見ている動物について質問したい人のために、展示室の至るところに多数の説明員を配置して、質問のひとつひとつに丁寧に答えている。これは、パネルに表示された情報を読むよりも、生身の人間から聞いた話のほうがよく記憶に残る、という考え方によるものである。

 

ジョージア水族館で教育上、格別な配慮を受けているのは子どもたちだ。 2 階はすべて子ども専用のスペースになっている。「ラーニングループ」という通称で呼ばれるこの階には、専用の入口から入るようになっていて、団体見学の学生とそれを引率する教師以外はここから入場することができない。年代ごとに 4 つに分けられたグループに 2 時間ずつかけて行われる「ループ」と呼ばれるツアーは、 5 つの展示室の上下に学生を案内するもので、一般の観客には公開されていない特別な展示や教育用実験室、それに舞台裏から見た水族館を見学することができる(入場料は子ども一人につき 9 ドル 50 セント)。

 

たとえば、「トロピカルダイバー」と題する壮麗なサンゴ礁の展示を例に見てみよう。まるで絵画のような太平洋の海中生物の再現に来館者が驚嘆しているのを横目に、学生は水槽の頭上を走るキャットウォーク(作業用通路)に立ち(そこはもちろん下方の展示室からは見えない)、快い雰囲気の中に人工的に発生させた大洋の波を間近に見ることができる。靴を脱いで、人工的な砂浜を歩きながら、このような環境が建物の中に作られた仕組みも理解することができる。

 

「リバースカウト」と呼ばれる展示室では、一般の来館者は、再現された川の「底」を歩いているが、学生はその展示を上から見下ろすことができる。山小屋をモチーフしたこの展示室には、インタラクティブに動く様々な教育用展示品があって、淡水生物や生態系に対する汚染の影響を学生に教えている。

 

この水族館で教育担当ディレクターを務める Brian Davis は言う。「当館では、展示の世界に入り込んで夢中になれるような学習環境を作ろうとしてきました。ここは、普通の教室とはまったく違います。」

 

こんにちは、ディーポ

ジョージア水族館の数ある展示の中でも、この水族館独自の 4D シアターで上映されるオリジナル映画「ディーポの海中 3D ワンダーショー」ほど、その考え方と教育をうまく複合させたものはないだろう。

 

ディーポは、ガリバルディー(スズメダイの一種)というオレンジ色のかわいい小さな魚で、この水族館の公式マスコットである(一方、シロイルカやジンベイザメは「非公式の」マスコットと見なしてもいいだろう)。水棲動物をテーマにしたこの架空の物語の主役であるディーポをデザイン・制作したのは、 Gary Goddard エンタテインメントである。

 

この 4D シアターでは、ただ座席に座って映画を見るのとは大きく違った体験を味わうことができる。この種の視覚効果に優れた技術を持つ Goddard は、これ以外にも、ユニバーサル・アイランズ・オブ・アドベンチャーの「スパイダーマンの冒険」やフロリダ州オーランドにあるユニバーサルスタジオの「ターミネーター 2 ・ 3D 版」のデザインで中心的な役割を果たしてきた。この水族館のショーは、観客の前で挨拶していた役者が魚に変身して、海の友だち「ディーポ」とともに映画のスクリーンの中に吸い込まれていく不思議な演出で構成している。

 

観客には、映画の場面によって風を当てたり、水を吹きかけたり、座席を振動させるなどしながら、軽妙なミュージカルを楽しませることで、水族館からのメッセージを明確に、かつ巧みな方法で伝えている。

 

このシアターの入場料は大人が 5 ドル 50 セント、 3 ~ 12 歳の子どもが 4 ドル。

 

不思議に溢れた展示室

ジョージア水族館の 5 つの大きく異なる展示が目を楽しませ、心をはずませる

 

ジョージア水族館は、 5 つの大きな展示スペースに分かれており、それぞれこの星の異なった水域に棲息する生物に焦点を当てている。これらの展示スペースは、この施設の豪華な中央広場から分岐する形で伸びていて、中央アメリカ沿岸のバリアリーフ(堡礁)の海底から環太平洋地域のサンゴ礁、さらに北半球の北極海から南米の淡水域まで再現したこれらの展示スペースを歩きながら、来館者は様々に異なった体験ができる。それでは次に、見ごたえのあるこれらのスペースをひとつずつ見ていこう。

 

遠洋航海者:

巨人との旅

ジョージア水族館の中で最も特筆すべき展示は、「遠洋航海者:巨人との旅」という展示スペースを構成している容積 600 万ガロン(約 22,700 m 3 )の大水槽だということは疑いない。来館者がまるでメソアメリカンバリアリーフの真ん中に投げ込まれたと感じられるように設計されたこの展示スペースは、覗き窓の合計面積が4,574 平方フィート(約 425m 2 )に達する世界最大の「金魚鉢」である。

 

来館者が水族館の共用スペースから「遠洋航海者」の深くて暗い水中に足を踏み入ると、周囲は徐々に暗くなってくる。最初は水槽の中をちらっと見る人が数人いるだけだが、その後すぐに施設全体が驚嘆に包まれる。来館者が角を曲がると、周囲がすべてアクリルでできた全長 100 フィート(約 30 m )のトンネルに入り、まるで海底を散歩しているかのように、巨大な構造物の中の何千匹もの魚の中を歩くことができる。このトンネルは水槽のちょうど中央近くを二つに分けるように走っているので、この視点から見ると、ちょうど設計者が望んだとおりに、水があらゆる方向に流れ続けているように見える。誰の目にも明らかにこの水槽の王者であるジンベイザメのラルフとノートンが悠々と泳ぐその後をついていくかのように、小魚の群れが上方や周囲を泳ぎ回っている光景に唖然とした来館者が、ただ立ち尽くしている姿を見かけることも珍しくない。

 

ジンベイザメは世界最大の魚で、ジョージア水族館では全米で唯一、この 2 頭を飼育している。この水中の巨人の現在の体長はおよそ 25 フィート(約 9 m )である。しかし、ジンベイザメが成長すると、 40 ~ 50 フィート(約 12 ~ 15 m )、さらに 60 フィート(約 18 m )を超えることもある。これから数年後に、そのトンネルの中で、窓全体の半分にもわたって伸びるジンベイザメの姿を想像してみるといい。

 

だが、この水族館のこの区画で見る価値があるのは、ジンベイザメだけではない。ここを通りがかるとよく目にする魚はこのほか、シュモクザメ(成長すると体長 20 フィート=約 6 m になることがある)、ノコギリエイ、シノノメサカタザメなど、実に多種多様だ。

 

一方、この水槽の中には何千匹もの小型の魚が棲んでいる。コガネシマアジのような明るい色の熱帯魚が群れを成してトンネルを泳いでいる光景を見ると、まるで水棲動物の万華鏡を覗いているようだ。

 

この「遠洋航海者」の展示スペースは、ジョージア水族館の全体目標を最もよく表している好例である。この水族館の設計主任を担当した Gary Goddard エンタテインメントのオーナー、 Gary Goddard は言う。「ここでは、ありふれたものを作りたくありませんでした。この水族館は、いわば歩いて見て回るシアターのようなものです。」

 

この展示室で最後に現れる展示を見れば、彼のこの考え方が最もよくわかる。それは、高さ 28 フィート、幅 63 フィート(約 8.5 m × 19 m )という世界で 2 番目に大きな窓である。実に「シアター」と呼ばれているこの静かな部屋ほど、視野の広さを感じさせるものはない。座席はないものの、来館者は、階段状になっているフロアで休憩を取りながら、その光景に浸ることができる。この展示室の他の部分と同様に、このスペースには照明がほとんどない。厚さ 2 フィート(約 60 cm )のアクリル製の窓の向こう側から差し込む水の青い光がすべてである。部屋の隅にある 2 つのテレビ画面は、来館者がそこで見ている生き物に関する豆知識を流しているが、少し離れた場所に控え目に置かれている。もう少し情報を知りたい人はそれを見ればいいし、この静かな環境で干渉されることなく魚を見ていたい人にとっても、その存在はほとんど邪魔にならない。

 

この水族館の他の展示区域と同様に、この水槽もまた展示室の階の下方にあるので、来館者はこの水中の世界に足を踏み入れたような錯覚を覚える。アクリルの水槽を通して見た光景は歪みもなく、来館者は、本当に水の中を歩いているように感じるだろう。

 

北極海の冒険:

未知の冷たい世界

ジョージア水族館には見たり体験したりできる展示がたくさんあるが、絶対に見逃せないものがいくつかある。その中でも、シロイルカ(ベルーガ)は必見だ。

 

「北極海の冒険:未知の冷たい世界」という展示スペースにある容積 80 万ガロン(約 3,000 m 3 )の水槽に棲む 5 頭のシロイルカは、北極圏と亜北極圏の海からやってきた。とても社会性が強いこの哺乳類は、「ポッド」(小さな群れ)と呼ばれるグループで生活し、狩りを行い、移動する。シロイルカの筋肉質の身体は全長 10 ~ 15 フィート(約 3 ~ 4.5 m )で、しなやかなその動きは、まるでこの展示室全体に流れるニューエイジミュージックに合わせて踊っているように見える。その光景はとても見ごたえがあるので、この水族館では、 3 つの違った角度から見られるようになっている。つまり、展示室の 2 つのフロアのほかに、オーシャンズボールルームの正面入口から見ることができる。この「北極海の冒険」の展示スペースでは、シロイルカ以外にも、この水族館で最も多様で独特な生き物をたくさん見ることができる。

 

この区域に入った見学者の目にまず留まるのは、ケルプフォーレストと呼ばれる海草の群生地で知られるカリフォルニアの海で育ったスズメダイの一種、ガリバルディーである。この魚は、この水族館のマスコット「ディーポ」でおなじみだ。ここでも見学者は、水槽に使われたアクリルの重要性を目の当たりにする。来館者と魚の間に光の反射がほとんど生じないので、時にはひざの上に魚がはねあがってくるように見える。

 

まるで展示の中に入り込んだような臨場感は、この展示室全体で強調されている。たとえば、ガリバルディーのすぐ向こうには、水族館全体にわかって配備されたタッチタンク(海中生物をさわって体験できる水槽)が続く。水槽の縁まで満たされた透明な冷水の中には、ヒトデやウニなど、独特な手触りを持つ海の生き物が入っている。そのタッチタンクの傍には、この水族館で最もぞっとする生き物、タカアシガニが見えてくる。この光り輝く深海生物は、普通は海面から 1,000 フィート(約 300 m )の深さに棲んでいて、成長すると、脚を広げた体の幅が 20 フィート(約 6 m )に達することがある。これらの動物が棲息する薄暗い環境を再現するために、ジョージア水族館では、真黒に近い水槽にタカアシガニを入れているので、さらに薄気味悪く見える。

 

そのエリア(展示室それ自体)の反対側には、アフリカペンギンがいる。このペンギンたちが棲んでいる場所は、この水族館でも最も創造性の高い展示のひとつである。ここでは、水槽の下を走るトンネルを通り抜けた来館者が、ペンギンの群れの真ん中に頭を出して(もちろん、ガラスのパーティション越しで)見ることができる。

 

リバースカウト:

淡水の神秘

ジョージア水族館には、「それが決まった普通のやり方だから」といった古臭い言葉に従った展示はひとつもない。プランナーたちは、巨大な構造物のあらゆる面で一歩踏み込んで、観客の目をくらませ心を引き付けるようなユニークな展示を駆使して生物を見せている。この「リバースカウト:淡水の神秘」という展示スペースのポイントは、人工的に再現された北アメリカの河川が来館者の頭上を流れ、展示室の半分くらいを蛇行しているところである。来館者が実際の河床に沿って歩いているように感じることを意図して作られたこの重大なテーマの展示において、これは重要な要素である。

 

来館者が巨大な滝を通り過ぎて展示室に入る最初のところから、この展示のテーマは明確に示されている。そこから河川の流れに沿って下流に向かっていることに気づくのは、それほど想像力を要することではない。頭上の水槽はふたたび透明になり、コクチバスや絶滅危惧種のウミチョウザメなど、この大陸の浅水域に棲む生物が織り成す壮観な光景を見せている。滝の上から水中にふりそそぐ光は、来館者が実際に水面下を泳いでいるかのように、展示の至るところに光の斑点を投射している。(模造品の)巨木の根の周囲を巡って見学者がこの展示スペースの出口に差し掛かると、このテーマが示す考え方はますますはっきりしてくる。

 

ジョージア水族館は、このほかにも世界各地から淡水魚を収集してアトランタに連れてきた。アフリカ産のものでは、アフリカン(ピーコック)シクリッドや、微弱電流を発して獲物の位置を特定する エレファントノーズフィッシュ を展示している。この水族館はこのほか、南米アマゾン川に棲息し世界最大の淡水魚として知られるピラルク(アラパイマ)、ピラニアの遠い親戚で「リバースカウト」の始めのところに大々的に展示されているペーシュカショーロも飼育している。気の弱い人にはお薦めしないが、レッドピラニアの水槽では、彼らの棲む世界を安全な方法で覗き込んで、その大きく鋭い歯を間近に見ることもできる。

 

ジョージア探検隊:

故郷の海岸を知ろう

毎日、水の入ったプールに行ってアカエイをなでることはできない。それはそうだろう。毎日をジョージア水族館で過ごすわけにもいかない。

 

アトランタで必見のこの新しい観光スポットは、あらゆる世代が楽しめる場所としては申し分ない。だが、この水族館の中でも、特に子ども向けに作られた数少ない施設のひとつである「ジョージア探検隊:故郷の海岸を知ろう」は、 5 つに分かれたこの水族館の展示スペースで、最もインタラクティブに作られている。

 

この展示の目的のひとつは、ジョージア州の海岸線がたとえどれほど短くとも、この州が海に面しているという事実を地元の子どもたちに認識させることにある。この展示スペースの入口では、この水族館で最大のタッチタンクの隣に立っているミニチュアの灯台が、見学者に「故郷の海岸を知ろう」と呼びかけている。ここで、見学者は腕をまくって、アメリカアカエイやクロガネウシバナトビエイ(コーンノーズエイ)の入っている浅い水槽に手をつけてみることができる。

 

この展示室では、桟橋でよく聞こえてくる港の効果音を流すことで、沿岸の港湾によく似た雰囲気を出している。この展示の中央には、実際に乗れるボートが置いてあって、その中央には、クルマエビがたくさん入ったもうひとつのタッチタンクがある(時間によっては、来館者がこのエビにエサを与えることもできる)。展示スペースの片側には、タッチタンクがずらっと並んでいて、その中には様々なカニやヒトデが入っている。一方、展示室の後方にある部屋は「セミクジラシアター」として使われている。そこで上映されるビデオでは、セミクジラがジョージア州の沿岸で冬を越すという話を聞いて、少し驚く見学者がいるかもしれない。この展示室では、それ以外の地元の水棲動物としてアカウミガメやシロガネツバメウオなどを見ることができる。

 

これらの展示スペースを一日中歩き回ってきた子どもたちは、少しはしゃぎ回りたい気分になっているかもしれない。「ジョージア探検隊」はそのための場所でもある。この「船」を見下ろすことができるこの展示室の 2 階からは、タッチタンクの上まで這って行けるチューブが突き出していて、カニを真上から眺めることもできる。また、クランクを速く回すほど灯台が明るく点灯する仕掛けもある。トンネルの中をよじ登って遊ぶ子どもたちは、そこから階段を降りる必要はない。滑り降りることができるからだ。そう、ジョージア水族館にはセミクジラの形をした大きな滑り台があって、展示室の出入口にある口から子どもたちを吐き出している。そこを出た子どもたちはまた、別の探検へと出かけるのだ。

 

トロピカルダイバー:

サンゴの王国

ジョージア水族館は、非直線型で直感的に楽しめる施設を目指している。ただし、展示のひとつはかなり変わっていて、水族館はそれを特に推奨している。最後に「トロピカルダイバー: サンゴの王国」と呼ばれるこの展示を見てみよう。

 

このスペースは、生き物によるアートギャラリーのようにデザインされていて、どこを曲がっても、人それぞれに楽しい経験ができる。他の展示室とは少し趣きが変わり、この区画にあるほぼすべての水槽の傍らにはベンチがあって、来館者はそこに座りながら、サンゴ礁に棲む美しい生物をうっとりと眺めることができる。頭上の水槽には、針金みたいなアナゴのほか、数千匹もの小さなグラッシースイーパー(ハタンポの一種)を眺めることができる。その近くには、クラゲがまるでネオンのように輝いて、見学者の注目を集めている。

 

この水族館の設計意図は、この「トロピカルダイバー」において十分に示されている。この展示室の各区画は、どの通路にも必ずひとつはある曲がり角によって分かれている。驚くような光景を目の当たりにした来館者は、その後に続くほぼ真っ暗な闇と無地の壁によって瞬間的にその魅力から遮断される。そして、次のコーナーに入ると、また新しい驚きの波がピークに達するのである。

 

ジョージア水族館の中でも最も優れた好例はもちろん、太平洋のサンゴ礁を再現したこの展示である。水中が七色の光で溢れる容積 16 万ガロン(約 600 m 3 )の水槽(この種の水槽では全米最大)には、フレームエンゼルフィッシュ、オオシャコガイ、ロングスナウトバタフライフィッシュ、ナンヨウハギ、カスミチョウチョウウオ、キイロハギ、それにもちろん、生きたサンゴが棲息している。後者の多くは、他の水族館で養殖されてジョージア水族館に寄贈されたものである。つまり、この驚異的な展示を作るにあたって、野生の生物を採集する必要はなかった。さらに、来館者は、展示の裏側にあるタッチスクリーン式のコンピュータ画面を触るだけで、サンゴ礁の生き物それぞれについて学ぶことができる。

 

この水族館では、展示は原則として床より低い高さから始まっているが、ここだけは例外的に、アクリル窓が展示室の入口に向かって、弧を描くように見学者の頭上に伸びている。このユニークなデザインを採用することによって、来館者は、サンゴ礁に独特な波の動きの全体を観察することができる。数分ごとに(オリジナルの BGM 演奏の強まりが時間の経過を示している)頭上で波が砕けると、その先にさざ波が立ち、見学者はその瞬間、環太平洋のサンゴ礁へと旅をした幻想を味わうことができる。

 

このサンゴ礁の展示は、「保護しようとする環境に興味を持ってもらうために人々を教育する」というジョージア水族館の大目標を最もよく示した好例である。この水族館で教育・保護・展示担当バイスプレジデント( VP )を務める Bruce Carlson は言う。「いま見ているものに興味を持ってもらえなければ、教育効果は期待できません。」


新時代の幕開け

IAAPA 理事長兼 CEO という難しい役回りに臨むCharlie Bray

(記事:Jeremy Schoolfield )

 

それは、バージニア州アレクサンドリアの IAAPA 本部の近くにあるレストランでJ. Clark Robinson がCharlie Bray とともに朝食を取っていた 2004 年春のことだった。

 

二人は、差し迫っていた課題について議論していた。そのひとつは、世界最大のアミューズメント業界団体の理事長兼最高経営責任者( CEO )を退き、ふたたび引退を決意した Robinson の後任を結局、誰にするかという問題であった。当時、 RSM マックグラッドレー税理士・ビジネスコンサルティング事務所の代表を務めていた Bray は、 Robinson の後任として現実的にふさわしい候補者のリストを作成する作業を手伝っていた。その考え方は単純なものだった。 IAAPA が起用したかったのは、 IAAPA の経済的な存続を可能にするだけでなく、 IAAPA のトップとして自分自身の役割を理解していることを、長期にわたる「面接」を通して示すことのできる最高財務責任者( CFO )であった。

 

この相談に預かったBray は、Robinson のほか、この協会で積極的な役割を果たしていたリーダーや業界のベテラン数人と会って協議を重ねた。Bray は言う。「この仕事を通して、私はこの団体を指導してきた彼らに敬意の念を払うようになりました。団体として、業界の人々の考え方を実によく反映しています。この協会の将来について本当によく考えた上で、有名な団体において果たされるべきリーダーシップを見極めようとしていました。また、時が来れば、その責任を滞りなく移行することについても、よく考えていました。」

 

長く席に留まったまま、Bray がその条件に最もよく合う何人かの名前を示したそのとき面白いことが起こった、と二人は口を揃えて言う。Robinson はこう振り返る。「そこに座ったまま、これらの候補者について話し合っていたとき、 Bray と私は同時に、彼こそ適任ではないかということに気づきました。あとはただ、どちらが先にその話を持ち出すかという問題だけでした。」

 

Bray はこの話をこう締めくくった。「思わず顔を見合わせた私たちは、どちらから先に切り出すこともなく、その職にふさわしい候補がこの朝食の席にいるという結論に到達しました。」

 

Robinson は言う。「そのとき、私は彼にこう言ったのです。『ねえ、君…。これこそ、君が果たすべき使命じゃないか。君が理事会に入ってくれたら、こんなにいいことはないと思うのだが』

 

IAAPA の幹部会もこの案に同意し、Bray は 2004 年 6 月 30 日付で、この協会の初代 CFO に就任した。彼に言わせると、このときが「私の人生の中で最も長い就職面接の始まり」だった。もっとも、その面接も順調に進んだ。翌年 2 月 1 日には、協会の理事会は全会一致で Bray を Robinson の後任の理事長兼 CEO に選任した。

 

Bray は言う。「これこそ、私が夢見ていた仕事だと思います。私のそれまでの職歴はすべて、この仕事に備えるためにあったようなものです。 25 歳、 35 歳、 45 歳だった当時の私が、将来 IAAPA の理事長になることを知っていたでしょうか。もちろん、そんなことはありません。しかし、私の人生を振り返ると、この協会のような目的を持つ組織を率いる機会があれば取り組んでみたい、と思ったことは何度かありました。今のこの仕事こそ、私のキャリアの頂点なのです。」

 

「彼は信任が厚い」

56 歳になるBray は、アミューズメント業界の出身ではない。しかし、協会運営の経験という視点で見ると、彼はけっして初心者ではない。彼の前職は、電子機器小売業協会( ERA )と国際食品工業サプライヤー協会( IAFIS )という二つの非営利組織の理事長だった。それまで 17 年間にわたって勤めていた食品マーケティング研究所での最後の仕事は、上級副社長兼 CFO である。彼は、いくつかの国際見本市を含む展示会を立ち上げ、運営した経験を持っている(その中には、 IAAPA のアトラクション展示会よりも大規模なものもある)。Bray は財務にも精通している。公認会計士( CPA )の資格を持つ彼の最初の勤務先は、会計事務所のアーサーアンダーセンだった。Bray がこれほど理想的な候補者としているのは、彼が多彩な才能を併せ持っているからだという点は、衆目の一致するところである。

 

現在、 IAAPA のグローバル問題担当専務理事を務めるRobinson は言う。「私たちが必要としていたのは、財務に精通しているだけのベテランではありません。協会を経営する能力とリーダーシップのある人材を必要としていました。彼は以前からすでに、これらの技能を持っていることを示していました。多くの信任も得ています。」

 

マックグラッドレー 事務所時代のBray の同僚で、現在はバージニア州タイソンズコーナーにあるグッドマン・アンド・カンパニーで人事コンサルティング担当役員を務めるAlan Luba は言う。「 Charlie は、営利事業と非営利活動のバランス感覚が抜群に優れた適材です。彼はその両方の世界を理解しています。予算を組み、収益を上げ、サービスを開発することに関して、彼は実業界の人々のニーズを代弁することもできれば、組織開発のニーズを結びつけることもできます。」

 

1971 年にバージニア工科大学を卒業したBray は、金融界に就職した。しかし、公認会計士として開業することはなく、その業界で働いたのは最初の数年だけだった。彼によると、その業界は、あまりにも決まりきった仕事が多すぎた。彼はつねに、人の間に入って仕事をしてきたという。

 

その彼は言う。「この職場こそ、私が最も快適に感じられる場所でした。私は協会がやっているような仕事が持つ価値を信じていますし、この協会の会員が、この業界や他のメンバーにもたらすことのできる価値も信じています。」

 

Bray が協会活動にかける情熱は、自ずと明らかである。彼の仕事について話を聞きたい人がいる限り、彼はいくらでも話を続けることができる。彼によると、最も重要なことは、どのようにして会員の間にコミュニティを育てるかである。この種の業界団体が開催する展示会のような機会に形成されるネットワークは、ともすれば業界の中で孤独感に苛まれることのある人々にとって、「実り多く、また励みにもなる」ものだという。彼はまた、 IAAPA のような団体には、人間関係を構築し、体験を共有したいという人間の基本的なニーズを充実させるための触媒のような働きがあると考えている。

 

さらに彼は、「業界の旗振り役を臆面もなく引き受ける」とともに、「来る日も来る日も、この業界が地域社会の生活向上に向けてどのような貢献をしているかについて話し続ける」ことに専念できるこの仕事を楽しんでいるという。彼は言う。「企業はそれぞれ、自社製品のマーケティングメッセージを伝えることに専念しています。しかし、私たちの場合は、求心力のあるメッセージを、声を大にして伝えることができるのです。」

 

「今度はビッグビジネスだ」

Bray は、 IAAPA に加わるまでアミューズメント業界で働いた経験が一度もなかった。彼は言う。「子どもだった頃の私は、この業界のお得意さんでしたからね。そして、親の立場で言っても、私の家族はやはりこの業界のお得意さんです。」

 

アミューズメント業界でのBray の経験が比較的少ないことは、 IAAPA の新理事長である彼自身も、また彼の同僚もいっさい問題視していない。財務に対する彼の鋭い眼力、対人能力、それに他の業界団体における豊富な経験が最も重要な要素であって、この業界での経験は自ずと積めるものだ、と彼らは言う。

 

20 年近くに及ぶ食料品業界団体での仕事が終わろうとしていたころには、Bray は、自分がその業界で一人前のメンバーだと感じられるようになったという。彼は IAAPA でも、それと同じ経験をしようとしている。彼は言う。「『私はパークの専門家』だとか『私の専門は施設だ』とか『私はサプライヤーだ』と鏡に向かって胸を張って言えるようになるまで、 17 年もかからないでしょう。一方、私自身についていえば、理事長としての仕事に慣れるまで、時間をかけて相当の仕事をこなす時間や労力はかなりかかるかもしれません。ただし、理事長としての私の仕事の一部は、世界中に出張してパークを訪問し、そのビジネスチャンスや問題点について業界の人々と話し合うことです。それに、困ったときには、良き友である Clark がいつもいてくれますからね。」

 

2006 年度 IAAPA 会長のRob Norris は言う。「この協会の仕事はもはやビッグビジネスですから、そのような組織として経営していく必要があります。 Charlie は、極めて大きな技術をそこに持ち込んでくれました。彼はもともと、展示会の運営経験があります。この業界の入り組んだ問題も、うまく整理してくれることでしょう。」

 

実際、Bray がこの仕事に着任してからわずか 10 日後には、世界を半周して IAAPA 会議の開催地シンガポールに向かう飛行機に乗っていた。彼はそこで、何人かの業界のベテランと会談した。さらに 2 ヶ月後には、ドイツの「黒い森」として知られるシュヴァルツヴァルト地方で開催された IAAPA 夏季会議に出席し、ヨーロッパのパークの舞台裏を巡るツアーにも参加している。ドイツ最大のテーマパークを巡るこのツアーを振り返って彼は言う。「私にとっては、まさに目からウロコが落ちるような経験でした。パークの中を歩いても、乗り物に乗っても、夕食をはさんで誰かと話をしても、そこからつねに何かを学ぶことができました。」そしてもちろん、過去 2 年間の IAAPA 展示会にはすべて出席するかたわら、折を見ては世界各地の様々なパークに出張した。これらの出張を通して、 Bray はアミューズメント業界とそれ以前に彼が経験した業界との共通点を発見した。彼は言う。「その差は、ほんの紙一重に過ぎないことがわかりました。それは、設備投資の波及効果でした。私はいくつかの思考の枠組みを持っているつもりでしたが、この業界は、私がそれまで働いたどの業界とも違う世界でした。つまり、私にとっては、毎日が新しい勉強でした。これまで私が学んだことは、おそらく氷山の一角に過ぎませんが、しかし、その氷山がどれほど大きいかということが、この経験を通してわかったように思います。」

 

彼は冗談めかして言う。「 2004 年 6 月から 2005 年 11 月までかかりましたから、これは、私の人生の中も最も長い就職面接でした。この業界や周囲の人々について十分に学ぶことのできたこの期間は、楽しさでいっぱいでした。その環境がとても心地よく感じられた私は、この組織が業界のリーダーであり続けるという伝統を守る態勢も固めることができたように思います。」

 

 

「移行はとても容易」

IAAPA の幹部は、 Robinson からその後継者である Bray への移行がスムーズに進むものと期待している。その理由のひとつは、 Bray が Robinson を師と仰いでいるだけでなく、友人として見ていることにある。( Bray が IAAPA との契約に署名する前も、この二人は、意見を交換したり、または日々の問題について相手の知恵を借りることだけを目的に、月に一度は昼食をともにしていた。)

 

Bray は言う。「私が IAAPA で働くようになった最大の動機を与えたのは Clark でした。彼には、深い尊敬と敬愛の念を抱いています。私たちは、初めて会った日から、ほとんどずっと直接連絡を取り合ってきました。」彼の話は続く。「これほど異なった背景を持つ二人もなかなかいないと思いますが、私たち二人は、基本的な価値観を共有しています。」彼によると、この二人はともに、人生への情熱を持ち、「似たようなレンズを通して」世界を見つめ、「人々を信頼して物事に取り組む、前向きで楽天的な人間」だという。

 

Norris は言う。「 Clark はとても大きな仕事をしてくれたので、その後を埋めるのは容易なことではありませんが、 Charlie ならその仕事をやってくれると私たちは心から信じています。彼は一年半もかけて、面接試験を受けてきました。彼がこの協会に加わったとき、彼ならおそらくこの仕事をやれることはわかっていましたが、それをこなす技術を持っていることを彼自身が実証してくれました。彼のことはよくわかっていましたので、私たちにとっても、引き継ぎは容易に進みました。」

 

これには Robinson も口を揃える。「引き継ぎは順調でした。この作業には多大な時間をかけましたが、 Charlie もまた多くの時間を割いて、この業界や展示会をよく理解してくれました。彼はこの業界について明確に理解し、そのビジネスチャンスと問題点は何かを把握しました。すでに準備万端整っている彼の成功は間違いない、というよりも、はなばなしい成功を収めてくれると思います。」

 

IAAPA 理事長としての Bray は、理事会が協会の将来の成功に対するビジョンを作るのを助けるとともに、スタッフやボランティアを率いて目標を達成することが自分の役割である、と考えている。明確に規定された目標の達成に向けて専念する人々のグループが持つ力を、彼は強く信じている。

 

IAAPA 財務担当の Tom Wages は言う。「この協会の将来は、その会員数の拡大にかかっています。 Charlie は、協会のプロとして、そのための決定を支援する手段を理事会に提供するのに絶好の立場にあります。」

 

Bray は言う。「人々が結集したときに持つ力を過小評価してはいけません。私は人々やその関係をとても気にかけるほうですが、この業界では特に、それらは最も重視すべきです。」

 

しかし、ここにいう「人々」とは、 IAAPA のバージニア本部にいる人だけではない。 Bray にとっては、その外側にいる人々を巻き込み、世界中の会員を訪問することもまた、それと同じくらい重要なのである。

 

彼は言う。「協会幹部の役割とは、関係者だろうと部外者だろうと、誰の目にもこの事業をわかりやすく、かつ親しみやすくすることにあります。私は、会員と知り合えるように、できるだけ多くの時間を費やすつもりです。そうすることが、この協会が前進するために何を為すべきかという問題を設定するのに役立つからです。」

 

「多くの技術革新を見てきた」

2005 年にはテーマパーク会員の加入が増大したことで、 Bray は、この業界が 2001 年 9 月 11 日にニューヨーク市とワシントン特別区を襲った同時多発テロの暗雲からようやく脱したと考えている。

 

彼は言う。「米国だけでなく、私の世界があの日を境に永久に変わってしまいました。しかし、それも、過去のものになろうとしています。全体として見れば、人々は 9 月 11 日以前の暮らしを取り戻しています。今なら『もういいよ、あの事件にいつまでもとらわれていないで、自分たちの暮らしを続けよう。』と言う人がほとんどでしょう。」しかし、あの悲劇で発生した二次的に問題は依然として尾を引き、特にビザの発給と国境のセキュリティの面でこの業界に影響を及ぼしている。それでも、これらの問題も解決に向かいつつあると Bray は信じている。さらに、 9.11 以降のセキュリティや意識の高まりにも慣れてきた世界では、レジャー旅行の魅力がさらに高まり、アミューズメント業界の利益にもつながっている、と彼は言う。

 

IAAPA とそのメンバーにとってそれ以外の何か新たな局面はないかと尋ねたところ、彼はこう切り返してきた。「この先に何が見えてくるかを予測するのは、難しいことです。もしそのようなことができるなら、今とは違う別の仕事をしているかもしれません。ただ、この業界が長い歴史の中で歩んできた道程を振り返って見ると、これまでもつねにそうしてきたように、今後も技術革新を続けていくと思います。異なった年齢層の人々にもアピールするように、各年齢に向けてそれぞれ違う形で、心が躍り胸がときめくような娯楽をつねに提供し続ける方法を探すのが、この業界です。景気面では、この業界は上昇傾向にあると思います。さらに多くの技術革新が起こると思います。」

 

IAAPA は、そのような技術革新を促し、それを普及させる機会を提供し続けなければならない、と Bray は考えている。その手段とはつまり、展示会の開催である。彼は言う。「 IAAPA は、この業界に刺激を与える要素のひとつであり続けなければなりません。」

 

自分自身の将来について尋ねたところ、 Bray は、ここに永住の地を見つけたと考えていて、近い将来、他の世界に転じるつもりはない、と答えた。彼は言う。「人生で為すべき仕事をすべて為し終える年齢を、私は決めていません。私の仕事人生は、この先もまだ長いと思っています。しかし、自分の人生の中で、この仕事にめぐり合えたこと以上の幸運があるとは考えていません。今のこの仕事が私の人生において最後の仕事になったとしても、悔いは残らないでしょう。」