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Japanese 遊具を売る教授 Ed Hiller のオープンな性格と創造的な営業手法によって、ライド・エンタテインメント・システムズは人気の高い業界コンサルティング企業に発展 (記事:Tim O’Brien )
少し変わった経歴の持ち主で、アミューズメント業界で成功を収めた好人物、Ed Hiller を紹介しよう。CPA (公認会計士)の資格のほか、財政学を修めてMBA (経営学修士号)も併せ持つ彼は、一時期は大学教授の職にあり、前職は公認会計士事務所のパートナーだった。現在は、彼が夢見てきた仕事、つまり、アミューズメント業界で遊具販売・マーケティング大手企業の社長を務めている。 彼は言う。「計画的に進めてきたことではありません。ただ単に、自分が夢見てきた仕事が見つかるまで、チャンスを追い続けてきただけです。」実際にそれを見つけるまで、将来どのような仕事をすることになるかは自分自身にもわからなかった、と彼はつけ加えた。 会計事務所に務めていたHiller の得意先の 1 社が偶然にも、欧州最大のアミューズメント遊具メーカーだった。その会社の様々なプロジェクトに携わった彼は、アミューズメント業界を、その販売面からよく知るようになった。彼は言う。「私はこの業界、とりわけそこで働く人々から受ける刺激が好きでした。財務状況は厳しく、時には非常に複雑でしたが、だからこそ、私のバックグラウンドや個々のスキルをこの分野で活かせると思ったのです。」Hiller には、それが願ってもない適職に見えた。彼が自分の技能を磨くのに役立ててきた難題に挑戦する能力を、国際的なビジネス環境と組み合わせて活かすことができる。 アミューズメント業界の顧客と一緒に働く過程で、Hiller は、特にヨーロッパの企業がアメリカでビジネスをするときに必要な細かい実務対応のほか、マーケティングや営業に関する助言も必要としていることに気づいた。Hiller は、自分こそがそのニーズを満たせると考えた。 彼は財務面での信任も厚かったが、顧客を呼び込んではつねに満足させる貴重な存在として、会計事務所で随一の実力者と見なされていた。彼は言う。「アミューズメント業界での経験が十分にある私なら、遊具メーカーにも大いに役立つと思いました。もちろん、一目見たときから、私はこの業界にすっかりほれ込んでいました。」
クラスのトップ Hiller は典型的な財務畑の出身で、その職歴は、バルチモアにあるロヨラ大学の会計学科を卒業したときに始まった。バルチモア大学でMBA を取得する前にCPA の試験に合格していた彼は、さらに CIA (公認内部監査人)と CISA (公認情報システム監査人)の試験にも合格した。財務の専門家として仕事を始めた Hiller は、会計、財務の仕事をいくつか経験したが、その中にはメリーランドに本社を置くブラック・アンド・デッカー社の仕事もあった。 その間、 Hiller の友人の大学教授が、地元の大学で非常勤で教えてみないかと彼を誘った。人に教えるのが大好きだった Hiller は、やがてブラック・アンド・デッカーを退職して常勤の教職員に転じた。彼は言う。「人を教えてみて気づいたのですが、私は間違いなく、誰かが目標を達成するのを手伝いたいという欲求を自分の中に持っていました。」 6 年間にわたって教職にあった彼は、アン・アルンデル・カレッジの教授として過ごした一時期に、そのビジネス学部で学科主任を務めたこともあった。その後、町の向こう側にあるメリーランド大学の会計学教授に着任した彼は、さらに、メリーランドの CPA レビューコースで、自分が専門とする監査と税制を教える機会を得た。 民間企業が運営するこの CPA レビューコースは、各専門分野でトップクラスの教授を招き、全体の合格率が 7 パーセント未満と難関の CPA 試験に備える学生を支援していた。 Hiller は常勤で教えるかたわら、コンサルティングの仕事もときどき引き受けた。彼はこれによって、自分が与えた助言や指導が、各業界でどのように事業の成功に貢献できたかを知る機会を得た。 その時期の Hiller の職業上の目標は、一流大学の常勤教授になることだった。そのために、彼はいったん学業に戻って博士号を取得する必要があった。一方、この間に彼が会計事務所からオファーされた仕事は、地元の花屋から大手多国籍企業まで様々な業種にわたる数百の企業に対して会計、ビジネスならびに税金に関する助言を与えながら、成長企業のビジネスに専念する機会を彼にもたらした。彼は教職を離れ、この事務所のパートナーになった。 彼は言う。「毎日違った問題に遭遇できるその環境が気に入りました。それに、顧客企業の経営トップと仕事上の緊密な関係も楽しめました。両者が『結婚』し、最初の『子ども』をもうけた後も毎日、その事業を成長させるために働きました。個人的な視点と事業上の視点から私が提供した助言が役立つ過程も見届けることができました。」
Hiller 、夢の仕事を創り出す ヨーロッパの遊具メーカーとの仕事がきっかけとなって、このビジネスに対する自分の考えが役に立つという自信を深めた Hiller は、 1997 年に会計事務所のパートナーの仕事を辞めてライド・エンタテインメント・システムズ( RES )を設立し、アミューズメント遊具メーカーに対する営業、マーケティング、その他各種のビジネスサービスを提供する仕事に乗り出した。 このライド・エンタテインメント・システムズのビジネスモデルの基礎のひとつになったのは、互いに補完し合う製品を持つ企業で構成する「グループ」を代表する枠組である。これにより、 RES はアミューズメントパークに対して完全な製品ラインを提供できるようになった。その当時、複数の主要遊具メーカーを代表している会社は他にはなく、各メーカーは通常、営業員を社内に雇っていた。彼は言う。「社内の営業スタッフに特有の問題が二つあることに気付きました。第一に、この業界の営業に必要なスキルセットがすべて揃った営業要員を見出し、雇い続けるのが難しかったこと。第二に、このような人材を使ってそのメーカーの全世界の市場をカバーさせると、膨大な費用がかかってしまうことでした。つまり、メーカーは複数の営業員を雇って効果を上げる必要があったわけですが、それもまた高いものにつきました。」 Hiller が RES を設立したころ、アミューズメントパークとテーマパークの拡大が歴史的な最盛期を迎えると同時に、この業界の中心であったパーク所有者も、新たな進化の段階に入っていた。企業が経営するパークが増えるにつれて、大企業に典型的な方法で遊具や設備を購入する傾向が以前より強まった。個人経営のパークでさえ、以前に比べると体系的で巧妙な購入方法を用いるようになったことから、メーカーに対する彼らの期待はかつてないほど厳しいものになった、と Hiller は言う。 「メーカーを代表して市場を担当する責任者は、製品を売る能力だけでなく、その製品に対する業界の評価を確立するところまで責任を持つ必要がある、と私は常日頃から思ってきました。マーケティング担当者の技能と評判は、この業界の責任ある一員としてのメーカーの地位を確立する意味でも非常に重要です。そのためメーカー各社は、印刷媒体広告、自社製品やグランドオープンのマスコミによる報道、 IAAPA などの業界見本市への出展に向けた調整、広報窓口に対するありとあらゆる問合せへの対応を含めたマーケティングキャンペーンを準備する必要があります。これらはひとえに、販売以前の段階で行うべき作業です。」 Hiller は、販売後のプロセスもそれと同じくらいきめ細かく、厳しさが求められる仕事だと考えている。彼は言う。「当社は、いつでもパークとの良好な関係を構築することによって、どの営業活動においても、顧客のニーズや期待を確実に満足させることができるという信頼を獲得することができます。」
RES の創業以来、この会社と経営者の Hiller が強固な顧客基盤を持ち続けている事実を見ても、顧客が実際に RES を信頼していることは明白である。 ドイツのゲルシュトラウアー・エレクトロ社で技術サービス担当役員を務める Franz Maier は遊具の設計者で、 RES とは同社の創業以来の長い付き合いである。彼は言う。「 Hiller 氏とそのチームは、私たちにとってはファミリー同然です。当社が成長する過程で、彼らとは長年にわたって密接に連絡を取りながら仕事を進めてきました。当社の成功の多くは、彼らの指導と助言の賜物です。」 アミューズメント業界で S&S パワーなど複数のプロジェクトを所有し、テキサス州フォートワースに本社を置く投資会社クレーツ・トンプソン・キャピタルのパートナーを務める Robert Crates は、次のように付け加える。「 Hiller 氏とそのグループは、専門的な営業アプローチを当社に提供してくれます。それは、創造的でありながら、豊富な実績に裏付けられた系統的なアプローチです。」 だが、 RES が満足してもらうべき相手は、メーカーや投資家だけに限らない。 Hiller によると、今日の取引活動では、メーカーとパークを両方とも顧客として付き合い続ける必要があるという。「プロジェクトの作業で最も難しい部分は、往々にして、その結果について遊具メーカーに満足していただくとともに、パーク側の期待も確実に上回るように、うまくバランスを取ることにあります。プロジェクトに向けた努力の大部分を、そのプロジェクトの構築段階に注ぐことによって、当事者全員が満足できる状態を維持しながら、当社が扱う遊具を設置することが全体的に見て成功だと受け止めてもらえるように努めています。」 シックスフラッグズにも務めたことがあり、現在はコロンブス動物園・水族館の最高経営責任者( CEO )を務める Manny Gonzalez は言う。「プロジェクトをライド・エンタテインメントと一緒に進めるのは、いつも楽しい仕事です。彼らはとても聡明な専門家集団で、顧客企業と密接に協調しながら目標を実現してくれます。 RES とは何年も一緒に仕事をしてきましたが、 Hiller 氏との間に築き上げてきた親密な友情を、私はとても大切にしています。」 ワイルドアドベンチャーズとサイプレスガーデンズの二つのパークを所有する Kent Buescher は、長年にわたり RES から 7 基の大型アトラクションを購入してきた。彼は言う。「 Hiller 氏とはつねに良い関係を保ってきました。私がワイルドアドベンチャーズを開業した当時、初めて遊具を購入した相手のひとりが彼でした。私たちがパークを設立したのはそれが初めてだったので、製作物の企画立案と資金調達には多大な労力を要しましたが、豊富な経験を持つ Hiller 氏のおかげで、何もかもうまく運びました。当社との良好な関係はその後も続き、今日まで、彼の会社からアトラクションを購入する商談だけでなく、この業界における戦略についても議論しています。」
専門家集団 ライド・エンタテインメントのチームは、営業員 4 人、マーケティング・管理担当社員 2 人、財務担当社員 2 人、業務担当社員 2 人で構成されている。このチームのうち何人かは二ヶ国語を話すことができて、ヨーロッパのメーカーと密接な関係を保ちながら仕事を進めている。ライド・エンタテインメントでは、チーム専属の営業社員のほかに、世界各地に販売代理人を置いて、あらゆる顧客を確実にカバーできる包括的な営業体制を敷いている。 RES は、基本的には営業・マーケティング企業だが、この業界における役割は年を追うごとに大幅に増大し、パークの買収に関する助言、パークや設備の評価、業務管理、資金調達など多岐にわたっている。 この会社で働いて約 3 年になる上級営業社員の Adam Sandy は、このチームが持つ多様性を示すひとつの例である。 Sandy はドイツ語が話せるので、ドイツ本社を置くゲルシュトラウアーとは良い関係を保ちながら仕事をしている。この業界の歴史に関する著書(共著)もある彼は、歴史とビジネストレンドという二つの視点から見たパークの専門家として尊敬を集めている。 歴史家としての肩書を持つ Sandy は、ライド・エンタテインメントと契約を結んだいくつかのパークと仕事をする過程でそのパークや遊具を評価したが、その多くは何十年も前に購入されたものだった。 Sandy はまた、ライド・エンタテインメントの顧客メーカーとの仕事で、新製品が業界内で直面する競合の可能性について、技術と価格の両面から包括的なコンサルティングを提供した。営業プレゼンテーションに臨む前に、 Sandy がいつも必ず「宿題」を済ませていたことは間違いない。自分が説明する遊具については言うまでもなく、競合メーカーの遊具製品の詳細、自社で取り扱う遊具の優位性、相手のパークの既存遊具設備の内容、さらに自分が扱う遊具が相手の成長計画にどのように適しているかまで、ありとあらゆることを知り尽くしている。 同社で営業担当役員を務める Kevin Rohwer も、優れた資質を備えた人材が揃った Hiller のチームメンバーの好例である。 Rohwer は自ら会社を所有してクライミングウォールを設計しているが、 RES は結局、それを 400 基以上もパークや FEC (家族向け娯楽施設)、動物園などに販売した。 Hiller の評判を聞きつけた Rohwer は彼と会い、自分の製品を売ろうとして RES に連絡してきた。その後、両者の関係が進展し、クライミングウォール市場が成熟すると、 Rohwer はライド・エンタテインメントに加わった。今日、彼は遊具の営業に携わるだけでなく、メーカー各社と協力しながら、この業界に新たな市場を切り開く可能性のある新しいアイディア製品の開発に貢献している。 Rohwer は、起業家としての自分自身の成功経験に基づいて、これらのメーカーが新製品の導入に際して陥りやすい落とし穴を回避できるように、直接的な体験に基づく貴重な助言を提供している。 Hiller が持つ優れたビジョンのおかげで、ライド・エンタテインメントは、つねに増え続ける顧客リストに合わせて、質の高い様々なサービスの提供を続けているが、この数年は同社のいう「企業グループ」への拡大を続けている。これらの「グループ」企業には、パーク向けアミューズメント遊具リース事業者、パークまたは娯楽施設所有者のための施設運営代行業者、新しい遊具と製品のアイディアを活かす業界向けマーケティングおよび営業開発、ならびにライド・エンタテインメントの下で提供される各種遊具の部品やサービスを提供する提携先企業や協力会社などがある。 プレッシャーに負けない強さ 英国で最も人気の高いブラックプール・プレジャービーチの社長だったGeoffrey Thompson が 2004 年 6 月 12 日に急逝すると、その翌日には娘のAmanda Thompson がその座を引き継いだ。しかし、その翌週には、彼を追うように亡くなった祖母Lilian Doris Thompson の死にも耐えねばならかった。すでに 101 歳と高齢だったLilian は、 1929 年以来ずっと同社の取締役の座にあり、 1976 年以降はこの会社の会長を務めていた。彼女の家族を襲ったこの悲劇を目にした友人や同僚は、Thompson がいつも仕事から離れられなかったことを思い出した。彼女はおそらく、父の死を悼んで人知れずひそかに涙を流していただろう。そのとき、この会社の社員が見たのは(というより、見ておく必要があったのは)、トップの地位に就いてファミリービジネスの経営に臨むひとりの女性の姿だった。 そして実際、会社はその彼女を新社長に迎えることになった。 Geoffrey Thompson 前社長が亡くなった日のAmanda Thompson について、プレジャービーチで広報責任者を務める Mathison はこう語った。「彼女はとても気丈でした。会社や家族のためにそうあらねばならないということは、彼女がいちばんよく知っていたのでしょう。」
「跡を継ぐことを期待できる人物は誰もいない」 英国北西部沿岸のゴールデンマイルで 42 エーカー( 17 万平方メートル)の広さを誇るプレジャービーチは、Leonard Thompson の義父でAmanda Thompson の曾祖父に当たるWilliam George Bean が1896 年に創業した。1976 年にGeoffrey Thompson がこのアミューズメントパークの経営者になったことは、ほぼ 1 世紀にわたって年間約 600 万人もの来場者がある(入場者数では全世界のアミューズメントパークの上位 15 社に入る)この観光地のたった 4 人目の役員にその娘のAmanda が就任することも意味していた。 周囲の期待に応えて立派に受け継ぐには、かなり大きな遺産である。 父親の下で副社長を務めていたAmanda は言う(この副社長の仕事は現在、彼女の弟のNicholas が務めている)。「社長としての役割を引き受ける準備など、最初からできているものではありません。家族の死を見越して用意している人なんかいないでしょう。しかし、父の仕事を引き継いだ時点で、私が知りうる限りのことは知っておくようにしました。かつての私はいつも父のすぐ側にいました。ほとんど毎日のように一緒に働いただけでなく、お互いに最も良い友達のような存在でした。父は、私にとってヒーローでした。とても高い玉座のようなところにいた父の地位に昇れるなどと考える者は、誰ひとりいませんでした。私自身はもっと違った立場で仕事をすることを希望していたのですが、父は、私にも弟にも、それぞれ独立した一個の人間に育つことを強く願っていました。父の跡を立派に継ぐことを期待できる人など誰もいません。それほどまでに、父はその等身大の実像よりも偉大な存在だったのです。」 Thompson は他の誰よりも父親のことをよく知っているだけに、自分の力量と熱意が父親のそれにどれくらい匹敵するかもわかっている。彼女の記憶によると、Geoffrey はロンドンで過ごすことが多く、下院議員を探し回っては「観光産業に関する質問を彼らにぶつけて回った」という。つまり、立法府に対する観光産業の代弁者のような役割を果たしていた。 その頃、娘の関心と情熱は、ショービジネスの世界に向いていた。そこで彼女は、 20 年の歳月の大半をライブプロダクションの制作指揮に費やした。(実際には、この資質もGeoffrey から受け継いだものだ。「私の父は、エンタテインメントにも深く関わっていました」と彼女も言うように、彼女の父親には類稀な才能があった。)かくして、Thompso n のリーダーシップは、責任の委譲と細かな管理統制を取り合わせたものになった。たとえば、政府との折衝のような仕事の大部分は、彼女が信頼を置く役員のグループに任せている(この分野では、法律が専門で、英国のレジャー産業の公認業界団体であるBALPPA の会長も務めているDavid Cam がその役割を任されている)。 もっとも、Thompson は机でじっと仕事をするタイプではない。自分のパークに対するビジョンから逸脱している部分が少しでもあれば、どれほど些細なことでも気がつく批判的な視点でプレジャービーチを見て回っている。彼女はまた、1982 年に(若干 20 歳のとき)自ら設立したプレジャービーチのライブエンタテインメント会社であるステージワークス・ワールドワイド・プロダクションズの社長を今も兼務し、このパークの 3 つのステージショー、「エクリプス」「ミスティーク」「ホットアイス」の制作管理を指揮している。 彼女は言う。「ローカルシアターの伝統に深く関わっていた父は、この劇場がブラックプールの来場者にとってユニークな伝統の一部になるように尽力していました。私もまた、父が果たしてきたその役割を守ってきました。」 荒れ模様の天気が続いた 3 月中旬のある日、Thompson は午前 6 時にパークに出勤した。大事なその時が迫っていた。彼女の祖父が建設し、現存するものでは世界最古のアイスショーアリーナで開催する「ホットアイス」第70 回記念公演の初演を数週間後に控えている。ホールの一端にある座席に作業場を構えたThompson は、スケーターを眼下に見ながら、オフィスから転送されてきたメールに目を通している。ステージが完成するまで、彼女は夜遅くまでそこに留まるつもりだ。「きっとすばらしい作品になるでしょう」と彼女は言う。 社長として初めて迎えたシーズン、Thompson は思い切った施策をまったく取らなかった(詳しくは後述)。その代わり、日常管理の些細な問題に専念した。このように些細な部分は、慣れない者が見ても気づかないかもしれないが、それが積み重なることによって、プレジャービーチ全体の印象を大きく変えてしまう。彼女は、雑然としたパークの整理に力を入れた。以前は、来場者が訪れるたびに、つねに何か新しい物を見聞きできることがパークの目標だった。だが、そのような方針は、どこかで行き詰まる可能性がある。そこでThompson は、パーク内に憩いの場を増やす作業に乗り出した。子どもたちが遊びに戻る前に、親がベンチにもたれて一息つけるような場所を増やした。 訳知り顔に笑みを浮かべながら、彼女は静かにこう言った。「私の父ならどう考えてどう行動するか、私は正しく把握しているつもりです。しかし、私の考えは必ずしも父と同じではありません。生前の父とはとても興味深い会話を何度も交わしました。しかし、日の暮れるころには、父の判断を尊重することにしていました。今は私自身が、すべてを見通せる立場にいます。」 プレジャービーチは 2005 年 8 月に新しいロゴ、標識ならびにスタッフの制服を発表し、Thompson は父親が最後に手がけたプロジェクトのひとつを完了した。Thompson は言う。「 110 年以上にもわたって発展してきたパークでは、様々に異なった多くのスタイルが混然としていることに気づきます。それらは、うまく調和することもありますが、時には対立し合います。私はパークを歩き回りながら落ちている標識を拾い、それらを見直して、何枚かを交換しました。」 プレジャービーチの幹部は、この新しいロゴを「清潔感と躍動感に溢れていながらもシンプルだ」と表現している。それは、プレジャービーチの未来に対するThompson のイメージ、つまり未来のチャンスに触発された近代的なアミューズメントの方向性を映し出したものだという。プレジャービーチ専用に制作されたすべて大文字のタイプフェースは、今は亡き彼女の父親に捧げられた。そのイニシャルを取って GT と呼ばれるこのタイプフェースは、彼が残した最後の遺産のひとつとして、現在ではパークの印刷物や標識の至るところに使用されている。しかし、 “Noah's Ark” (ノアの箱舟)とか “Big Dipper” (北斗七星)といった古いアトラクションの由緒のある標識は、変えずにそのまま残した。ここにも、プレジャービーチの伝統を尊重しながらも、過去の栄光の座にけっして甘んじようとしない Thompson の絶妙なバランス感覚が見て取れる。 彼女は言う。「古い物を何でも変えようとしているのではありません。これまでうまく機能していなかった物を新しい物と取り替え、機能するようにしただけです。ごく日常的なありふれた仕事のように思われるかもしれませんが、実際にはとても面白い仕事です。」 Thompson はこういった小さな変更を手がける一方で、将来に向けた大きな準備も怠らない。将来、英国のどの都市が「スーパーカジノ」(カジノ特区)として認められるか、ブラックプール全体が固唾を呑んで見守っている。カジノ諮問委員会は現在、国の文化大臣に対する提言をまとめている最中だが、 12 月に予定されている発表では、全国でただ 1 ヶ所にスーパーカジノの建設許可を与えるものと見られている。 海外旅行に安く行ける時代の到来によって、英国の主要な観光地としてのブラックプール(特にプレジャービーチ)の地位にも影響があった、とThompson は言う。「今日のアミューズメントパークは、周囲の環境の変化にもっと目を向ける必要があります。世界にはアミューズメントパークがたくさんありますから、たとえば 20 年前のパークほど人を興奮させるものではなくなっています。現在では、世界のほぼすべての主要都市の近郊にアミューズメントパークがあります。誰でも自由に海外旅行ができるようになった今日、少しでも多くの人々に自分のアミューズメントパークで余暇を過ごしてもらうためには、新たな方策を競って探さなければなりません。」 高級リゾート志向型のカジノがあれば、この町が現在のような季節限定の海岸保養地から、年間を通して何日でも楽しめる行楽地へと変貌を遂げ、地域経済を再活性化し、国内観光客が必ず訪れる観光地の地位を再確立できるとThompson 自身を含むブラックプールの経営幹部全員が信じている。 Thompson の壮大な構想は、過去 10 年間にわたってラスベガスが経験してきた巨大な事業拡張と財政的な成功にヒントを得たものだ。彼女は言う。「ブラックプール・プレジャービーチの将来は、ブラックプールの将来と非常に強く結びついています。世界の他のどこにもないユニークな経験がここでできるとすれば、私たちがここでアトラクションを提供し続けることが、とても重要な意味を持つでしょう。プレジャービーチは、ブラックプールの中にあるひとつの『島』として存在し続けます。しかし、カジノがあれば、その輝きはいっそう増すでしょう。なぜなら、誰もがブラックプールを『英国で必ず訪れるべき場所』と感じて、ここに何度でも戻ってくるからです。」 ブラックプールは今もスーパーカジノ候補地の本命として有力視されているが、だからといってその保証はない。二、三の例を挙げただけでも、ロンドン、マンチェスター、グラスゴーなど数都市が、カジノ諮問委員会に検討を求めている。だから、自分が経営するパークの将来について具体的な話になると、 Thompson の答えも慎重にならざるを得ない。彼女は言う。「現在は少し難しい状況にあります。将来の計画についてオープンにお話しすることはできません。私たち自身、どちらに向かって転がっていくのか、正しい方向を知らないのですから。」 とはいえ、過去 5 年間に 7200 万ポンド(約 1 億 2600 万ドル)もの設備投資を実施してきたプレジャービーチは、収益向上を目指した投資にかけては、けっして引けを取っていない。もしブラックプールがカジノの設置許可を勝ち取ったら、 Thompson とそのスタッフはそれを活かすための長期計画を実行に移し、新たな市場となる観光客を確実に引き寄せるだろう。しかし、もしカジノが他の地域に決まったら… そのときはそれに備えたプランもある、と彼女は自信を見せる。 ただひとつ間違いなく言えるのは、彼女には、未来に立ち向かうだけの準備と熱意があるということだ。彼女の父親は、彼女を無理にファミリービジネスに引き込んだわけではない。彼女はわずか 7 歳のときからこの業界で働いてきたが、望みさえすれば、どのような道にでも進むことができたはずだ。プレジャービーチに戻ったのも、ファミリービジネスを継承したのも、すべて彼女自身の選択である。そのような彼女に好きな道を歩ませ、創造的な視野を持つように促したのもまた彼女の父親であった。 ふたたび訳知り顔に笑みを浮かべながら、彼女は言う。「ここに戻ってきたのは、戻ってきて働けと言われたからではありません。ただ戻ってきたかったから、戻ってきただけです。父はとても聡明な人でしたから、きっと私を上手に手繰り寄せたのでしょう。その意味では、私は幸運だったと思います。父は心の広い人で、私にもよく心の内を語らせたものです。父は私とやり合っては、私をやり込めるのを楽しんでいました。今日の私が会社を継承する決意をこれほど固く持っているのも、おそらくは父のせいでしょう。父と交わした議論は、今も私の中に生きています。父と私は、今も一緒に未来への夢を抱いているのです。」 季節の誘い 一年または季節に一度イベントを定期開催してオフシーズンの活性化を図り、競争相手との差別化を図ろうとする娯楽施設 (記事:Keith Miller )
インターネットやスポーツイベント、テレビゲームとの間で消費者の余暇をめぐる競争が厳しさを増している近年の状況にあって、アミューズメントパークは、以前よりも季節イベントに頼ってリピート来場者を引き寄せながら、ターゲットとなる消費者層を絞り込むようにしている。 パークは、様々な目的に応じて季節イベントを活用している。たとえば、年に数回パークの化粧直しをして市場での競争力を維持したり、そのパークならではの独自性を反映させた企画を投入して競争相手との差別化を図ったり、シーズンオフの期間に入場者を増やすといった工夫である。 カリフォルニア州サンタクルーズにあるサンタクルーズ・ビーチ・ブロードウォークでマーケティング担当バイスプレジデント( VP )を務める Marq Lipton は言う。「ここで開催している『クラムチャウダー・クックオフ』というイベントは、通常は雨天のため休業する日に行いますが、今年は 4,000 人も集まりました。私どものように小さなパークでは毎年新しい遊具を追加することはできませんが、そんなことをしなくても新鮮な何かを加えられるこの種のイベントは、私たちにとって重要な意味を持っています。この種のイベントを開催することでパークの運営に弾みをつけられるので、毎年新しい工夫を付け加えることによって、その効果をさらに高めています。」 英国のウェールズ(ペンブロークシャー地方ナーベス)にあるオークウッド・テーマパークは、非常に具体的な目標を念頭に置いて「アフターダーク」という夏季イベントを導入した。専門家が制作して屋内外で開催するこのショーは、グランドフィナーレを花火で飾る。このパークでマーケティング担当マネージャーを務める Zoe Wright は言う。「日が暮れてからでも車で来られる近郊の住民、それに、日中はビーチに来たがらないような人々に的を絞って呼び込もうと考えました。」 新しい季節イベントを導入するにあたって直面する問題のひとつは、どのようなイベントならそのパークにふさわしいかを的確に判断することだ。テネシー州ピジョンフォージのドリーウッドでエンタテインメント担当役員を務める Paul Couch は言う。「どれが最適かを判断する作業の大部分は、リサーチとコンセプトテストです。経験に基づいて大量のデータを作成し、来場者の反応を調べます。そしてもうひとつは、昔ながらの優れた創造力を発揮して、どういうものであれば来場者の目に新鮮に映るかを見通します。」このようにしてフィードバックを集めた結果、ドリーウッドが 2005 年の春に開催した「フェスティバル・オブ・ネイションズ」(国々の祭典)というイベントでは、空中ブランコ乗り、歌手、軽業師、曲芸師、道化師が揃ったモスクワのサーカス団を招いた。その人気は非常に高く、 2006 年にはこのサーカス団をふたたび呼び寄せた。 Lipton は言う。「最初にしなければならないのは、どういうものを実現したいかをはっきりさせることです。最も容易に成長する可能性のある企画に注目して、そこから作業を始めます。このパークは以前、平日の夜になると閑散としていました。営業時間の短縮を検討していたほどです。しかし今では、イベントを開催したおかげで、夜間も日中と同じくらい繁盛するようになりました。」 新しいイベントを企画するにあたっては、従来のパークに対する定評を大切にしながら、顧客の期待を裏切ることなく、また最近のブームに流されないことが大切だと強調するパークがいくつかある。 Couch は言う。「長年にわたる来場者のご愛顧に確実に応えたいと考えた私たちは、自分たちの本分まで忘れてしまうような方針の変更は避けたいと思いました。」ペンシルバニア州ハーシーにあるハーシーパークでは、毎年 10 月にハロウィーン企画「ハーシーパーク・イン・ザ・ダーク」を開催している。しかしある年、その基本方針から逸脱したことがあり、やがてそれが失敗だったことに気づいた。同パークで広報担当マネージャーを務める Kathy Burrows は言う。「あるシーズンに、思い切ってとても怖いハロウィーンタイプのイベントを導入しました。しかしそれは、このパークに適した企画ではありませんでした。このパークのお客様の中心は、お子様を含むご家族連れだからです。」 シンガポールのセントーサ島にあるセントーサリゾートでは、来場者に合わせて新しいイベントを企画するにあたって、シンガポール最大の人口を占める華僑社会にとって最も大切で大きな意味を持つ春節(旧正月)に注目した。この島の 70 パーセントが植物で覆われている現実も考え合わせて、このリゾートは 2 年前、「セントーサフラワーズ」という 8 日間の花祭りを 2 月上旬に開催する企画を考えた。セントーサリゾートの Corinna Cox は言う。「(中国人は)この季節に親族の絆を確かめ合うことから、 2006 年のイベントと各種の展示では、家族や愛する人々と写真を撮るための良い機会を提供できるように企画しました。」今年は 2005 年を 30 パーセント上回る 265,000 人の来場者があったという。
付加価値要素 ゲームやコスチューム、料理コンテストといった付加的な要素を使って季節イベントに趣を添え、さらに地域社会の参加を取り付けることで、そのイベントにいっそう大きな成功をもたらすことがある。 Lipton は言う。「コンテストはこれらの要素の一部には違いありませんが、誰かが審査員を務める必要があります。そこで、有名人を起用する手もあります。」 コンテストと地域社会の参加とを組み合わせた「セントーサフラワーズ」は、セントーサリゾートに利益をもたらした。 Cox は言う。「今年のイベントでは、庭園彫刻コンテスト、教育機関が主催する 24 時間壁画制作コンテスト、それにデジタル写真コンテストを開催しました。この写真コンテストはリピーターの来場を促し、参加者の 5 パーセントはさらに多くの写真を撮りに戻ってきました。地域社会が関与したことでマスコミもニュースとして取り上げやすくなり、それだけこのイベントに対する公衆の認知度も上がりました。」 イベントに変更を加えるかどうか、加えるとしたらどういうタイミングにすればよいかについて、 Lipton は次のようにアドバイスしている。「そのイベントの定量分析が可能な形にしておくことです。イベント終了後に結果を分析し、目標の数値に到達できたか、何らかの変更を加える必要があるかを判定します。」 ハーシーパークは最近、「スウィートライト」と呼ばれるドライブスルー型の照明ディスプレイを追加した。これによって、歩くことができない来場者でもイベントを楽しめるだけでなく、パーク内とドライブスルー通路の間でディスプレイを移動させることができるので、悪天候時の来場者の選択肢が広がった。
祝祭日とハロウィーン パークの多くは祝祭日の前後に季節イベントを組んでいる。最も成功したイベントは祝祭日に関係したものかと Couch に聞いてみたところ、意外な答えが返ってきた。「必ずしもそうとはいえません。ただし、クリスマスは別です。クリスマスの時期はエンタテインメントも見栄えがしますし、それだけ人々にもよく受け入れられます。」 「スモーキー・マウンテン・クリスマス」は、ドリーウッドで最も成功した季節イベントのひとつだ。 350 万個もの照明、精巧な舞台、レストランで出されるホリデーメニュー、名匠の手になるクリスマスギフトを呼び物にしている。 この 10 年間でハロウィーンほどパークの季節イベントに取り込まれた行事はないだろう。お化けが出るというこの祭日に合わせて、どのパークも次々と新たなイベントを創り出した。しかし、国際ホーンテッドアトラクション協会の会長の座をまもなく退く Larry K irschner は、お化け屋敷の業界にもっとよく学ぶべきパークも多いという。 Kirschner によると、ローカルなお化け屋敷は全米で 2,000 を超えるまで増えたが、それは営業上の利益よりもむしろハロウィーンに対する関心の高さからだという。彼は言う。「パークはもっと多くのことを私たちの業界から学べるはずです。」 マーケティングの最前線にいる彼は、特にハロウィーンのシーズン中は、数百万件ものヒットがある www.hauntedhouses.com のようなウェブサイトにイベントの一覧表を掲載するように勧めている。 また、新しいハロウィーンイベントの企画は、その年の春から始めても間に合う、と彼は言う。大型の遊具と違って、企画から実現まで何年もかかるものではないからだ。「すでに経験のある人たちから学べば、調査を始め、資料のビデオを買うことができます。いってみれば、 1,000 ドルもかけずに地球から木星にでも飛んで行けるわけです。それほど、収益を増やせる可能性が高いのです。」 驚いたことに、パークの大部分は、この種の特別イベントに新たな要員を配置しないという。ふつう、増員されるのはエンターテイナーとパフォーマーだけだ。 ハーシーパークで遊具・保守監督を務める Rod Underkoffler は、同社のハロウィーンイベントについてこう語る。「特に高校のフットボールの試合がある金曜日の夜は、遊具要員の配置が難しくなります。そのため、よく保守作業員を使って遊具を運転しています。」 このパークではこのほか、それ以外の仕事にはボランティアグループを使い、その報酬に相当する金額をボランティア団体に支払っている(ハロウィーンイベントについて詳しくは 26 ページ参照)。
マーケティングマジック パークで季節イベントのマーケティングを行う際に、この種のイベントはどうせ通常のマーケティングキャンペーンに追加したものだからといって広告宣伝費を惜しんでもいいと考えている人がいるとしたら、少し考え直したほうがいいかもしれない。 Lipton は言う。「イベントの広告宣伝費にかける費用を節約しようとしたパークをいくつか見たことがあります。しかし、イベントに招かれる人がいなければ、イベントそのものがうまくいきません。」 パークが取りうる戦略のひとつは、各種の宣伝手段を用いることだ。中にはとても珍しいものがある。セントーサリゾートでは、「セントーサフラワーズ」を告知するために、一般的な印刷媒体、テレビ、ラジオ、インターネットならびにダイレクトマーケティングを活用した。それについて、 Cox はこう付け加える。「人々の注目を集めるために、イベント開催の 2 週間前に『アンパオ』(お年玉袋)を印刷して配布しました(『アンパオ』は、中国人の家族が子供にお年玉をあげるときに昔から使っている赤色の封筒)。」 オークウッドテーマパークでは、「アフターダーク」イベントを特集したパンフレットを 70 万部配布した(そのうち 20 万部はダイレクトメールで送付)。「ウェールズでは、学生(パフォーマー)が生まれたら、地元の新聞がその人物について記事を載せるくらいですから、イベントを開催すれば新聞にも取り上げられ、良い宣伝になります。」 毎年 5 回の大型イベントを行うオーシャンパーク香港で広報担当役員を務める Jenny Dam は、いつも必ずテレビ局やラジオ局を呼んで現場から生中継してもらい、この市場に独特のマーケティング機会を活用するようにパークに勧めている。「香港の主要な公共交通機関である MTR (地下鉄)に広告を載せています」と彼女は言う。 ハロウィーンイベントについては、 7 月には広告キャンペーンを始めたほうがいい、と Kirchner は言う。「私なら大量に広告を出して、自分のウェブサイトに人々を誘導します。そして、 9 月上旬には本格的な宣伝を開始します。」
他のパークに学ぶ 季節イベントの企画立案について、 Lipton は次のように強調する。「他のパークでやっていることに学び、予見しにくいことまで予見することです。たとえば、料理イベントを開催しようとしたら、消防署は消火器の設置を義務づけてきます。そのことは、イベント開催の前日までに知っておかなければなりません。」 パークによっては、季節向きのエンタテインメントをショルダーシーズン(繁忙期と閑散期の中間)のテコ入れに使おうとすることがある。しかし、これに対して否定的な見方を取る Wright は、次のように助言する。「イベントは、ショルダーシーズンではなくてハイシーズンに開催するものです。ショルダーシーズンがショルダーシーズンとなるのには理由があります。人々がパークに来る気が起きない時期はあるものです。当社でハロウィーンイベントをしばらく試みた結果は上々でしたが、これはたまたま天候に恵まれたおかげだと思っています。」 イベントは小規模なものから始め、あまり早い段階で大幅な変更を試みようとしないほうがいい、と Burrows はいう。 Cox が次のように要点をまとめてくれた。「湿っぽい時期には(イベントの)開催を避けること。それに、あらゆる人々を対象としたイベントを企画しようとしないことです。コアとなる客層を絞り込み、その人々に直接語りかけましょう。ばら撒くだけばら撒いて、あとは結果が出るのを祈るようなやり方はよくありません。」
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