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July 2006
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力強い成長を目指して

以下は、ファンワールドのプレストン・マーチャントが、プレイセンターのマルセロ・グトグラス氏に直接インタビューを行い、同氏のキャリアおよびブラジルの遊園地業界についてフランクな意見をうかがった記録である。

プレストン・マーチャント

マルセロ・グトグラス氏が、初めて娯楽産業の楽しさを知ったのは、ブラジルのサンパウロ市で、同市で初めてのコイン式ジュークボックスを設置したときだった。同氏は、その後、 1970 年代のピンボール全盛時代を経験し、世界有数の大都市であるサンパウロに最初の大型ジェットコースターを開設した。

同氏は、サンパウロのプレイセンター・グループを創設し、現在その社長兼 CEO を務めている。同社は、サンパウロ市に遊園地のプレイセンターを所有し、それ以外にブラジル全国と外国のショッピングモールにプレイランドという家族向けの娯楽センターを展開している。

グトグラス氏は娯楽産業に 40 年近い経験を持ち、業界のパイオニアとして尊敬を集めている。同氏は、その事業をブラジルからアルゼンチン、その他の南米諸国、さらにはヨーロッパにまで拡大している。同氏は、多くのトピックをカバーしたファンワールドとのインタビューで、 1999 年に行われたブラジル通貨切り下げ以降のブラジルの娯楽産業が経験した苦労について語った。ブラジル政府は、手に負えなくなったインフレを押さえ込むために、ブラジルの通貨レアルの他国通貨に対する交換レート幅を広げた。この結果、レアルは直ちに 8 %切り下がり、米ドルとは切り下げ以前のレートの 1/3 で交換されることもあった。この経済的な苦境とそれに続く政治危機により、遊園地のように設備を外国から輸入してブラジル国内で事業を展開する多くの企業がダメージを被った。

 

ファンワールド : ブラジル経済は 2 、 3 年前から回復基調にありますが、現在、娯楽産業が直面する最大の問題は何だとお考えですか。

グトグラス : 私の見解では、当面の最大の問題は、業界が成熟したことです。 1995 年から 1999 年にかけて、多くのビッグ・プロジェクトに巨額の投資が行われました。当社のプレイセンターもこの時期に生まれました。経済は活況を呈し、国民の所得が増加していました。特に 1998 年と 1999 年に大きな遊園地プロジェクトが完成しました。リオデジャネイロのテラ・エンカンターダは 1 億 8 千万ドルのテーマパークでした。サンパウロでも、当社が 2 億ドルを投資してホピ・ハリをオープンしました。ブラジルに大規模テーマパークを開設することが、私たちの夢であり、挑戦だったのです。この間に、多くのウォーターパークもオープンしました。当社は、運悪く、 1999 年の通貨危機の打撃を受けました。当時、レアルの米ドルに対する価値は、切り下げ前の 1/3 に下落したのです。この通貨切り下げとそれに続く政治危機により、当社の事業は大きな痛手を被りました。その理由は、すべての投資を米ドルで行っていたためです。すべてのライドは輸入品ですから、購入資金は米ドルで借り入れました。しかし、入園者から受け取る入園料はレアルです。そのレアルが切り下がっては借入金を返済できません。したがって、すべての収益計画が狂ってしまいました。入園者数は減りませんが、収入が落ち込んだのです。このような状況下で、巨額の投資を行った事業やウォーターパークの多くが閉鎖されたか、非常に苦しい経営状態となりました。それ以後、ブラジルだけではなく世界中で新規の投資が行われなくなりました。 2003 年から、生き残った遊園地とウォーターパークが実情に合わせた経営方針を採り始めました。ある意味での移行期で、プレイセンターも同様でした。ですから、私は、遊園地業界で新たな時代が始まったばかりと見ており、これは観光産業についても言えることです。私たちは、今、より成熟した、より経験を積んだ、そしてより高度なサービスを提供できる業界となるための土台作りをしているところです。私たちは、すでに多くのことを学び、正しい方向に向かって努力していると思います。生き残ったパークは、非常に好調で、景気も拡大しています。私たちは将来を楽観視していますが、もちろん多くの努力が必要です。

ファンワールド: どのような努力が必要ですか。ブラジルでの事業展開には、どのような優位点と不利な点がありますか。

グトグラス: 一般の人々にパークに行く習慣を身につけてもらうことが必要です。ブラジルには、遊園地産業が発展するためのすべての条件がそろっています。人口は多く、気候は温暖で、当社の収益も上向いています。私たちの業界を家族の行楽向けに売り込む必要があります。また、欧米のように家族が年に 1 度は遊園地に遊びに行く計画を立てるような習慣を作り上げたいと思います。これは、業界が直ちに取り組む必要がある課題です。

次に、投資の問題です。この業種には、多くの投資が必要です。輸入は、以前厳しい状況です。輸入額 1 ドル当たり、 70 セントの輸入税がかかります。この状況を改善するために、政府と交渉中です。 1990 年代に、私たちが大きな遊園地を開設したときには免税措置が取られましたが、それは 3 年間だけでした。したがって、もうひとつの大きな課題は、世界のテーマパークにあるような大きなアトラクションをどのようにして調達するかということです。それは、チリやアルゼンチンでも簡単にできることなのです。チリでは、輸入税はまったくかかりません。ブラジルではそのような大きな投資はできないので、私たちはその代わりにソフトウェア、プロモーション、それにショーを利用しています。高いレベルのアトラクションをそろえるために、さまざまな工夫が必要です。この業界が多くの労働者を雇用し、国内観光を豊かにする効果があることを、政府に理解させなければなりません。

 

ファンワールド : サンパウロは、 1800 万人の人口を抱える世界有数の大都市ですから、労働人口が多く、市場としても無限の可能性がありますね。遊園地は、これらの利点を利用しようとしているのですか。

グトグラス: もちろんです。それがもうひとつの課題で、私たちが政府に理解させようとしていることです。私たちは、高いレベルのトレーニングを行うことができます。私たちは、地域社会に溶けこむ必要があります。特にプレイセンターでは、地域社会と相互に支援する体制を作りたいと考えています。遊園地には学校があって、多くの教育プログラムを用意しています。私たちは、プレイサイエンスと呼ばれる施設 [ そこでは生徒がライドの後で物理学を学習できます ] を使って、先生と生徒のためのプログラムを実施しています。これにより、逆に遊園地を学校の行事に組み入れてもらうことができます。ですから、平日の火曜から金曜の間に、生徒たちがここに遠足にやってきます。生徒たちは 1 時間の学習を終えてから、遊園地で遊びます。このプログラムは、政府の教育機関により、学校のカリキュラムとして認められています。

ファンワールド: この業界には、成熟化の兆候が見られますか。

グトグラス: 将来は明るいと思います。最近では、業界も夢を追いかけるよりも現実を見据えるようになり、専門家的な考え方が定着してきました。私たちの業界は、ブラジルの景気に左右されます。景気がよくなれば、業界も成長します。失業率が下がると、直ちに業績が拡大します。私は将来は明るいと思いますが、ただし慎重さが求められます。私は、大きな投資の余地はないと考えます。これは、業界の誰もが犯した過ちですが、すでに過剰投資が行われています。

 

ファンワールド: 国内に(施設の)サプライヤーや設計業者は育っていないのですか。そうすれば、外国から資材を輸入する必要がなくなりますね。

グトグラス: ほとんどありません。以前は今よりましだったのですが、経済危機の間に多くの企業が倒産しました。現在では、国内のサプライヤーは 5 、 6 社に減ってしまいました。中型のライドのよい供給会社が 1 社あり、その他のサプライヤーはすべて小型のライドで、そのほとんどが FEC ( ファミリー・エンターテインメント・センター ) 向けです。この業界は、依然外国製のライドに依存している状態です。

 

ファンワールド: 娯楽産業ではどのくらいの経験をお持ちですか。どのようにしてこの業界に入られたのですか。

グトグラス : この業界に 37 年います。私は大学で電子工学を専攻し、コイン式のジュークボックスを開発するプロジェクトを選択しました。完成したジュークボックスをボーリング場に置いてもらいましたが、このボーリング装置は非常に単純で、まったく自動化されていず、ピンは人間が立てていました。ジュークボックスは、コインの代わりに私が作ったメダルを使いました。ジュークボックスのすべての部品が自家製でした。そのボーリング場で働いていた私の友人が、「メダルが足りない」と電話をかけてきました。私は、「 100 個も渡したじゃないか」と答えました。私はパジャマのまま、通りを渡ってボーリング場に行きました。そこでは誰もボーリングをしていず、ジュークボックスに人の列ができていました。これがサンパウロで最初のジュークボックスだったのです。

そこで私は、パートナーに、「これはいいビジネスになるぞ」と言いました。私たちは、手製のジュークボックスを 15 台から 20 台設置しました。そのメンテナンスが大変で、死に物狂いで働きました。そしてジュークボックスをあちこちのボーリング場やバーに設置しました。そこで、私はもっと多数の場所にジュークボックスを設置する方法を考えました。何通か手紙を書き、それを受け取った米国のサプライヤーが、米国までの航空切符を送ってくれました。私には航空賃を払うお金がありませんでした。その業者が私に見せたのは、ジュークボックスではなくピンボールの機械でした。私は、これはいいビジネスになると考えました。私は、その業者から掛け買いで 20 台のピンボール・マシンを購入し、サンパウロで最初のゲームセンターを開きました。 1969 年のことでした。ゲームセンターは、驚くことに 24 時間営業でした。この仕事を 4 、 5 年続けました。その間にブラジル全土で 2,500 台のマシンを設置しました。しかし、採算は楽ではありませんでした。業界通は、ゲーム機はギャンブルのようなものだと言っていました。開いたり、閉じたりが激しかったのです。

 

ファンワールド: そこで、別の道を模索したのですね。

グトグラス: あるサプライヤーがイタリアに招待してくれ、そこでその顧客であるナポリの遊園地を訪問しました。その遊園地を見たときに、「こんなものは、サンパウロにはない」と驚きました。そしてヨーロッパと米国の大都市にはテーマパークがあることに気がつきました。そこで、そのイタリアの業者と交渉しました。私は、業者からライドをレンタルしました。そのころ、サンパウロでは、遊園地の大きな滑り台が人気でした。サンパウロの街の真ん中にプレイセンターと呼ばれる小さな広場があり、滑り台が設置されていました。私は、その所有者と話し合い、サンパウロで初めての高いジェットコースター、それにバンパーカー、メリーゴーラウンドを設置しました。ジェットコースターは、 1 日中順番待ちの列が途切れませんでした。このジェットコースターは、 8 人乗ると満員で、料金はひとり 1 ドルでしたから、 1 回の運転で 8 ドルの収入がありました。私は、「これはピンボールよりももうかる」と考えました。私たちは、ピンボール事業を日本の企業に売却し、その売却収入で、ここにパークを建設しました。私は、「プレイセンター」の名前と滑り台を買い取り、 1972 年にパークを開園しました。そのとき、私はライドを買いすぎてしまいました。すべてのライドを設置する場所がありません。始めは小さな場所だったのです。それで、設置できなかったライドを使って移動遊園地を始めたのです。これで、「プレイセンター」の名前がブラジル全土に知られるようになりました。

私は、常にプロ意識を持ち、新しい知識を吸収するために、できるだけ多く旅行をします。 1982 年にドイツ人のパートナーが加わりました。 IAAPA からも多くの支援を受けました。特にセミナーは役に立ちました。

 

ファンワールド: しかし、一時、プレイセンターを離れましたね。

グトグラス : 私は 1997 年にプレイセンターを辞めました。それは新しくホピ・ハリを始めるためでした。ホピ・ハリ開始後は、実質的には引退生活に入りました。始めは会長で、その後取締役会の 1 員でした。 2002 年に、全事業を運営していてパートナーがプレイセンターのすべての資産を売却し、ホピ・ハリのみを残す決定をしました。そのとき、プレイセンターは投資資金不足に悩んでいました。経済危機が来て、投資資金がなくなってしまいました。ですから、プレイセンターは採算が苦しかったのです。しかし、私はまだチャンスがあると見て、プレイセンターと FEC の事業を買い戻しました。何と話したらよいでしょう。私は、決して売ってはならなかったものを買い戻したのです。私は、そのとき、依然グループのパートナーでした。そして 2002 年に何人かの投資家とプレイセンターを買い取ったのです。

ファンワールド : 経営権を買い取ったのですね。

グトグラス : 資産を買い取ったのです。株式ではありません。この 3 年間、プレイセンターの事業を軌道に乗せるためにがんばってきました。パークとプレイランドに多くの投資資金をつぎ込みました。基本に戻ろうとしたのです。パークを金融機関のように経営しようとしたのが間違いでした。 3 年間苦労して、今は幸せです。今では、経営がやっと軌道に乗りました。家族も戻ってきます。これは家族のための事業です。遊びに来るのは、ティーンエージャーだけではありません。私たちは、パークを設計しなおし、インフラに多くの資金を投資しました。私たちは緑が多い方がよいと考え、昨年は 500 本の樹木を植えました。私たちは、多くの家族に「プレイセンターに遊びに行こう、面白いよ」と考えてもらいたいのです。多くの家族が、これまで 30 年間、プレイセンターは楽しいところだと感じてきました。昔は、多くの入園者が家族で来ました。しかし、この 2 、 3 年、新たな投資が行われずサービスが低下したため、来場する家族が減っていました。しかし、今、私たちは昔に戻ろうと考え、従業員、特に若い人たちを教育しています。ギオルギ・ガルフィ氏 [IAAPA の地域代表、下の写真の中央 ] が多くの面で支援してくれました。私たちは、ここにも、 FEC にも優秀な管理チームを持っています。プレイランドは、当社の重要事業です。この FEC からの収益が全収益の半分を占めます。

ファンワールド : プレイランドFEC はブラジル全土に展開されているのですか。移動遊園地と同じように、全国で知名度を上げる役割を果たしているのですか。

グトグラス: ブランドは異なりますが、メッセージは同じです。私たちは、プレイセンターを使って FEC の宣伝を行い、 FEC を使ってプレイセンターを宣伝しています。相互プロモーションが大きな効果を上げています。

移動遊園地は、ブラジルだけではなくアルゼンチンでも積極的に展開しています。これは、大きなライドが 18 、それ以外の乗り物が 18 台ある、本格的な移動遊園地です。非常に成功しています。 FEC は、アルゼンチンでも成功しています。実は、 FEC を本格的に始めたのはアルゼンチンだったのです。今では、マルセロ・ペリアレス氏 [ ネバーランドの ] が、 No. 1 です。アルゼンチンだけではなく、そのコンセプトは世界一です。本当にすばらしい人です。同氏は、私たちから多くを学びましたが、今は私たちが同氏から学ぶ番です。私たちは、現在ポルトガルのリスボンで事業を始める準備をしています。あるショッピングモールに、ジェットコースターを備えた約 11100 平方メートルのすばらしい遊園地を開設します。私たちは、現在、ブラジルで、サンパウロ、リオ、ポルトアレグレ、その他の場所に合計 18 の FEC を展開しています。私たちは、強固な事業基盤を持ち、さらに力強い成長を目指しています。


裏方たちからのメッセージ

遊園地業界が、新しく流行し始めたポッドキャスティングでホットなオンライン・フォーラムの提供を始めた

ジェレミー・スクールフィールド

それはデイヴィッド・ブラディにとって忘れられない 1 日となった。フロリダ州中央部のある 4 月の金曜日、天候は快晴だった。まさにウォルト・ディズニー・ワールドが「アニマル・キングダム」の新しいスリリングなライド「 Expedition Everest 」を披露するには、うってつけの日だった。その朝、ブラディはこの走行式ジェットコースターに乗り、グーフィの横に座って山を登っていた。その午後は、有名な霊長類学者のジェーン・グッドール博士と楽しい会話のひと時を過ごした。

グーフィがグッドールに言った。「ポッドキャスターにとっては 1 日に十分な仕事だ」と言った。そのときブラディは『不思議なことを言う人だ』と思ったが、意味をよく理解できなかった。

ブラディは、遊園地業界に初めてポッドキャスティングを持ち込んだ新人類の 1 人だ。ブラディは、 PR の仕事とエンターテイナーの仕事を兼任しており ( 同氏の肩書きはパートタイム PR レップだ ) 、毎週木曜日に発行されるウォルト・ディズニー・ワールドのポッドキャストの司会をしている。このラジオショーを聞きたい人は、 MP3 プレイヤーに保存して、好きなときに好きな場所で聴くことができる。遊園地業界では、ポッドキャスティングは、まだ新しい文化だ。

遊園地愛好家に大人気の Web サイト、 CoasterBuzz.com のウェブマスターであるジェフ・プッツは、次のように説明する。「遊園地業界は、概してインターネットをマーケティング媒体として認識するのが遅かった。つい最近まで、誰もそんなことは考えなかった。すべての調査結果は、遊園地に行くような年齢層の人々が Web 上で多くの時間を費やしており、ポッドキャスティングが広告媒体として果たす役割は大きいはずだ。」

 

一体何をしたいのか

ブラディが 2005 年の春にウォルト・ディズニー・ワールドのポッドキャスティングを始めたときには、インタビューのゲストに現在何が進行しているのか、および相手に何を期待しているのかを説明したカードを渡さないと、相手は状況を理解できなかった。

しかし、 1 年で状況は一変した。

この形式のインターネットは、 2004 年の夏にはまだ存在しなかった。今では、数千のポッドキャストが発信され、世界中でこれを受信する人の数は数千人増加した。ポッドキャスティングの方法や品質はさまざまだが、その構成要素はどれも同じだ(「ポッド」はアップル社の大人気の iPod MP3 プレイヤーの「 Pod 」を取ったものだ)。つまり、誰かがマイクに向かって話すと、その音声がデジタル録音され、コンピュータ上で編集され、オンラインで発行された製品を聞き手がダウンロードするのだ。ただし、オンライン・ラジオのストリーミング放送のように聞く人をインターネットに縛り付けることはない。音声圧縮フォーマット MP3 の登場により、放送内容は一番小さなデジタル・ミュージック・プレイヤーにでも簡単に保存することが可能になったのだ。このファイル・サイズの小ささと、ブロードバンド接続の普及により、ダウンロードにかかる時間が加速的に短縮され、ハイテク愛好家はインターネット上での情報のやり取りの延長として自然にポッドキャスティングに親しむことができる。

ブラディは、次のように語っている。「他のハイテクお宅と同じように、私もコンテンツの一般の人々への配信はすばらしいことだと考える。もちろん、これはインターネットの特性を一層高度に利用できるようになった結果だ。

業界の熱心なポッドキャスティング支持者の 1 人で、 CoasterRadio.com のプロデューサー、マイク・コリンズは、次のように説明する。「この 2 年間、私たちが使えたのは Web サイトと掲示板だけだった。これらの媒体では、内容をすぐに読むことはできるが、音声を聞くことはできなかった。インタビューを受ける人がトピックについて語り、そこに情熱や不快感を感じられること、それが私たちのショーの出発点だ。以前は旅行のレポートを書くだけだった人が、今では旅行について語り、それを聞いてもらうことができるようになった。これは、はるかにすばらしいことだ。」

Web 上に数百万種類の Web ページがあるように、どのような特殊なトピックについてもポッドキャスティングが行われている。

2000 年に CoasterBuzz.com を立ち上げたプッツは、次のように語っている。「メディアとしての観点からは、ポッドキャスティングは、インターネットの自然な発展の結果だ。マスメディアは広く一般にアピールし、次にもっと特殊な分野を対象とするようになる。問題は、 [ インターネットの普及以前は ] 雑誌であれ、ニュースレターであれ、ニッチを対象とするには媒体の費用が高すぎた。」

それに、エンタテインメント文化ではますますオンデマンド性を求められるようになっており、そこに登場したポッドキャスティングは理想的な媒体となった。コリンズは、 CoasterRadio.com を聞く人は、これまでのようにデスクトップ・コンピュータを使う人と、新しいミュージック・プレイヤーを使う人の割合がほぼ半々だと言う。コリンズが受け取る E メールは、通勤途中に CoasterRadio を聞いている人からのものや、ありがたいことにテーマパークへ行く途中に聞いている人からのものもある。ある人からは、ロンドンから大西洋を越えてフロリダ州のオーランドに飛ぶ間、 CoasterRadio を聴いていたので飽きなかったとのお礼の E メールを受け取った。

「このラジオを開始したときには、長く続けられるかどうかまったく自信がなかった。たぶん、百人くらいの人が聞いてくれて、 1 年後には止めることになるかもしれないと考えていた。しかし、今では、 1 週間間を空けると、どうしたのかとたずねるメールが来る」と 4 月のポッドキャスト開始 1 周年でコリンズは述べた。

熱烈なファンの声

CoasterRadio と CoasterBuzz は、同じポッドキャストでも明白な違いがある。

コリンズは CoasterRadio が始まった経緯を次のように説明する。ワシントン DC に住む友人のグループがパークに向かう車の中で、パークについて話していた。その中で放送畑の人が 1 人いた。「私たちは、そのとき車の中で行っていたような会話をラジオで放送できたらすばらしいと考えた」とコリンズは回顧する。しかし、普通のラジオ放送は論外だった(「ジェットコースターについてのトークショーなどは通常のテレビやラジオのチャンネルで放送しても、誰も聞いてくれない」とコリンズは言う)。また、その当時のオンライン・ラジオは費用が高く、管理も大変だった。その状況を変えたのがポッドキャスティングだ。

放送業界で働くことのメリットの 1 つは、次々と登場する新しいテクノロジーについて知識を得られることだとコリンズは考えている。コリンズとその友人たちがポッドキャスティングを知ったとき、彼らは、これでコスト面とスケジュール管理の面の問題を解決できると感じた。グループは、バージニア州にあるコリンズの家に 1000 ドルで「スタジオ」を作り、専門技術とアマチュアの情熱の両方を前面に押し出して CoasterRadio に売り込みを図った。毎回のショーは、通常のコマーシャル放送と同じように、詳細な計画を練り、数ヶ月をかけて調査を行ってから実行する。 CoasterRadio は毎回の放送用に業界の専門家やマニアとのインタビューを手配し、ショーの内容はそれぞれのゲストに合わせて組み立てる。ただし、録音時には、このプログラムの精神である「友達が気楽な会話を楽しむ雰囲気」を大事にしているとコリンズは言う。つまり、グループのメンバーは、ソフトドリンクとポテトチップを持ってテーブルの回りに座ったり、ソファに寝転んだりして会話を進める。グループは、水曜日か木曜日の夜、 1 、 2 時間会話を楽しみ、週末にそれを編集し、月曜日に 30 分の番組を放送する。

「滑らかな進行と専門的な内容を心がけている」とコリンズは言う。

CoasterRadio ではコリンズのグループはポッドキャストを中心において Web サイトを構築した。これに対し、 CoasterBuzz のプッツの週 1 回のプログラムは、「自然の成り行き」を重視した。これが、 CoasterBuzz が遊園地産業のリソース・サイトとして成功しているもう 1 つの理由だ。

プッツは、次のように意気込みを語っている。「常にマニアと専門家の両方の立場を取り入れる努力をしている。ポッドキャストでも同じ姿勢を貫こうとしている。遊園地を愛する人たちが 30 分間、楽しみ、日常を忘れるニュースダイジェストにしたい。」

ショーを主宰するプッツとその仲間たちは、毎週 1 度、インターネット上で電話会議を行って、それを録音する。ウェブマスターのプッツによれば、必要な設備に要した費用は 500 ドル以下だった。このショーは、基本的に、その週にそのサイトに掲載されたニュースのダイジェストと、それぞれのトピックについての評論で構成され、ときどき特別ゲストが出演する。プッツ(放送業界の経験がある)は、 2 時間くらいをかけて音楽を追加したり、必要に応じて編集を行ったりする。そして、その結果が毎週月曜日に CoasterBuzz からポッドキャスティングされる。

「特定の型にはまらないように、自由なスタイルを目指している。即興性を重視したいのだ」とプッツは説明する。

コリンズとプッツは、どちらも遊園地産業についての専門知識をあまり持っていないことを率直に認めている。二人とも、同じように「自分は専門家でも何でもない」と言っている。二人とも長い間の遊園地ファンで、自分の長年の観察から幅広い知識を集めたのだ。プッツは、数年間の CoasterBuzz の経験を通じていくつかのパークと緊密な関係を確立した。プッツは、ショーにゲストを呼ぶことは難しくないと言う(一番出演回数が多いのは Cedar Fair の CEO 、ディック・キンゼル氏だ)。開始時には CoasterRadio の方が苦労したが、 4 週間たつとすべてが楽になった。コリンズは、あちこちのパークが施設内での番組録音を許可してくれるようになったので、最近そのための装置を購入したという。

「ポッドキャスティングが普及したので、皆が私たちのやっていることを容易に理解できるようになった。ゲストを迎えるときも、それなりの敬意を払い、くだらない質問はしない。普通のラジオショーと同じように製作している」とコリンズは言う。

コリンズは、 CoasterRadio のリモートからライブ放送できる機能も気に入っている。コリンズは、アニマル・キングダムでの Everest の運転開始式典にも出席し、最初の試乗中に録音を行い、その翌週のショーで放送した。このようなユニークなコンテンツが遊園地関連ポッドキャストの人気を高める秘訣だと、コリンズは考える。 CoasterRadio の番組製作チームは、この夏、実際に、ペンシルベニア州観光局の依頼で、同州にある複数の遊園地を訪問し、ショーを VisitPA.com でポッドキャスティングするという特別番組の録音を行う予定だ。

同州の観光担当副局長、ミッキー・ロウリー氏は、次のように説明する。「私たちは、州の仕事をする代理店に対し、最新の媒体を使用してメッセージを放送し、放送を聞く人たちがペンシルベニアと聞いて笑顔がほころぶような効果を生むように求めている。これは大々的なキャンペーンなどではない。宣伝広告にかけるような大きな予算は使わない。安い費用で利用できる新しい媒体を使って、市場に訴え、ペンシルベニア州の観光を魅力的と考える人々を増やしたい。」

多くのパークがポッドキャスティングを開始

公式の定期ポッドキャストを初めて始めたテーマパークはウォルト・ディズニーだが、その後、他のパークが続々と参入を続けている。

ブラディは、ウォルト・ディズニー・ワールドのポッドキャストを 2005 年 12 月 25 日に開始し、その後毎週ポッドキャスティングを続けているが、人々は「この種のコンテンツに飢えている」という ( ディズニーランドのポッドキャスティングは、その 2 、 3 週間後に始まり、 1 カ月に 1 度放送されている ) 。「非常に明らかになったことは、人々は裏話がとても好きだということだ。あまり資金がかからず、比較的容易な方法で、人々が聞きたがるコンテンツを配信できることは非常にありがたい」(同氏)。

ディズニーは、 ABC テレビ・ネットワークを所有し、さらにケーブルテレビのディズニー専用チャンネルを所有しているが、ぎっしり詰まった放送スケジュールで時間帯をやりくりするのは難しく、さらに、ウォルト・ディズニー・ワールド・ポッドキャストを聴くような人々のニッチ市場向けに番組を放送することはできない。

「ポッドキャスティングであれば、既存の番組スケジュールに無理して食い込む必要がない。ラジオの 24 時間の番組表に時間を確保する必要もない」とブラディは言う。

コリンズは次のように説明する。「ライドの設計者の話を聞くのは、とても興味深いことだ。そして、最近その願いがかない、 パーク・アトラクションの企画・クオリティー管理等を行っている Walt Disney Imagineering のバイスプレジデント / 取締役デザイナーであり、『 Everest 』プロジェクトの主任デザイナーを兼任するジョー・ロード氏にインタビューする機会が得られた。単にロード氏が『 Everest 』について書いたものを読むのと異なり、同氏の話を実際に聞くと、同氏の情熱をひしひしと感じることができ、感激した。ポッドキャスティングがなかったら、同氏のような人との 20 分間のインタビューを放送することは夢だったろう。」

いまや、ポッドキャスティングを行っているパークはディズニーだけではない。この記事の印刷時に、ユニバーサル・オーランドが、専用の月 1 回のポッドキャストの製作と開始準備を進めていた。他方で、テネシー州ピジョンフォージにあるテーマパークの Dollywood とペンシルベニア州エリスバーグにある Knoebels Groves Amusement Resort & Campground が、特別プロジェクトのポッドキャスティングを開始したばかりだった。

Dollywood の PR マネジャー、ピート・オーウェン氏は、同パークのポッドキャストの新しいキャラクター Dottie を誕生させ、 4 月にデビューさせた。オーウェン氏は、「初回の放送は Dollywood の新しい呼び物『 Timber Tower 』のプロモーションに利用したが、人々が興味を示す面白い話を見つけたいと考えている」と語っている。 Dottie ( 実際にはパブリシティ・コーディネーターのコリン・パラダイスが演じている ) の役割は、パークを巡回し、さまざまなアトラクションの裏話を語ることだ。

ディズニーのポッドキャストは、通常、 15 分から 20 分間だが、オーウェン氏は、 Dollywood のプログラムが米国の全国向けラジオのニュースが短く要点を伝えるように、 5 分以内ですべてを説明するようにした。オーウェン氏は、このような短いニュースを集めてデータベースを作成し、パークの Web サイトを訪れる人の数を増やし、ファンにパークについてのより多くの情報を提供し、メディア関係者に記事の種を提供することが目標だと言う。

パークのポッドキャスティングに携わるスタッフは、メディアに要求される技術的な問題や人員配置の問題は特に難しくはないし、費用も高くないことを認めている。ファンワールドがインタビューしたパークのスタッフは、全員が、ショーの作業は、既存の数人の社員で十分に処理できると言う。 Knoebels のスポークスマン、ジョー・ムスカト氏が 、パークの新しいジェットコースター「 Flying Turns 」に関する自分のポッドキャストを始める準備にかけた費用は 150 ドルだったが、最も難しいのはインタビューの相手が数分でも割いてくれる時間を見つけることだと言っている。

オーウェン氏は次のように語る。「仕組みはとても簡単だ。私たちはポッドキャスティングのための録音装置とマイクを 2 、 300 ドルで購入した。」

「装置が届き、どのような形式をとるかを決めてしまえば、実行は簡単だ」とブラディも認める。

 

「見守っていれば必ず普及する」

ポッドキャスティングは、かなり普及したが、まだまだメジャーなメディアとは言えない。アップルの iTunes の登場により、購読制度が開始され、ウォルト・ディズニーのような大手がサービスを開始したことにより、 1 年前と比べれば明らかに社会に浸透してきたが、ポッドキャストにはまだまだ伸びる余地があると、専門家は見ている。

ブラディは次のように予測する。「ポッドキャスティングは、もっと多くの人たちに受け入れられるはずだ。私にとっては、ポッドキャストをダウンロードして聞くことは簡単だ。しかし、私の母はどうだろう。 私の祖母も、聞くだろうか。 それは無理だ。このサービスが無意識に一般の人に購読されるようになるには、まだ少し時間がかかる。」

プッツは、製作する側から、次のように語る。「ポッドキャスティングの本当の問題は、いかにして収入を得るかだ。ニッチ・マーケットを対象とする Web サイトは、これまではバナー広告から収入を得てきた。ポッドキャスティングは逆で、多くの人が製作を始めたが、どのようにして収入を得るかが分からないでいる。」この問題が解決されるまでは、ポッドキャストを提供する側は、 Web サイトへのアクセスを増やす手段となれば、それで満足だと考えているようだ。「それはそれで、自社の Web サイトのブランドの知名度を上げる効果が得られる。少し見えにくい部分があるが、それでも価値があることだ」とプッツは考える。

メディアとしては初期段階にあるので、まだ不透明な部分があるが、専門家は、ポッドキャスティングは近い将来、間違いなく普及度が高まると見ている。

コリンズは次のように予想する。「来年かそのころには、大手テーマパークの多くが、程度の差はあれポッドキャスティングを始めているだろう。それは毎週更新されるとは限らない。しかし、ポッドキャスティング、特にビデオ・ポッドキャスティングを使ってメッセージを発信しているだろう。一般の人たちは、やっとポッドキャスティングとは何かを理解し始めたばかりだ。それを購読する人たちは、実際に見て聴くことができるので、そんなことは少し前まではできなかった。だから、ポッドキャスティングは娯楽産業にとって新しいプロモーション用ツールとなるだろう。」

ブラディは、「お客様に訴えかけるには、すばらしい媒体だ。お客さまが施設を訪れていなくても、パークを思い出してくれる。私は、始めからこの点が気に入っていた。この媒体がなくなるとは思えない」と語っている。

オーウェンも「これは見守る必要があるメディアだ」と認めている。 「すべての新しいテクノロジーは、目を離さずに見守る必要がある。私たちは皆、人々がインターネットを使って旅行計画を立てるようになるまでに、はるかに大きな動きがあったことを知っている。ポッドキャストがオンラインで意思決定を行う人たちに幅広い経験を提供するものであれば、そして私たちにとってもオンラインでの入場券販売が増加するなら、ポッド